「死生観を育める地域に」これからの地域社会での葬儀の在り方 介護・葬儀・文化人類学者・僧侶で会談〈かながわセレモニーサポート〉

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「死生観を育める地域に」これからの地域社会での葬儀の在り方 介護・葬儀・文化人類学者・僧侶で会談〈かながわセレモニーサポート〉

コロナ禍で少人数やオンラインがニューノーマルとなり、葬儀の在り方や価値観も変わり多様化してきています。そこで、大鋸に事業所を構え、年間約300件の葬儀を手がけるかながわセレモニーサポ―ト」(森井功介代表)と大庭で福祉事業所を展開し、先進的な取り組みが多方面から注目されているぐるんとびー」(菅原健介代表)の両者と、文化人類学者、お寺の僧侶を交じえ、「これからの地域社会での葬儀の在り方」について語ってもらいました。

プロフィール

これまで2千件以上の葬儀を手がけ、「死」を痛感し「いのち」の儚さを感じながらも葬儀社主導、お客様目線ではないスタイルに疑問を感じ、「故人と家族の心に寄り添う」を使命に、2015年かながわセレモニーサポートを設立。口コミの依頼も多く、医療·介護や士業の方々から相談を受けるなど業界内での信頼も厚い。お葬式だけでなく終活からアフターフォローまで親身に相談できることも定評がある。厚生労働省認定の一級葬祭ディレクターの資格をもつ。39歳。

https://kanagawa-ceremony.com/

2011年の震災支援をきっかけに平常時の地域のつながりの重要性を痛感。大庭の団地内に小規模多機能ホームを開設し、利用者の自立した日常生活の支援に加え、利用者を交えた地域の自治活動や街の活性化拠点として様々な取り組みを開始。2020年には日本全国でもまだ数の少ない「通い」「泊まり」「訪問介護」「訪問看護」が一体となった「看護小規模多機能事業所」をオープン。地域づくりと高齢者の居場所作りの活動は、かながわ福祉サービス大賞や厚生労働省の福祉先進モデル、アジア太平洋最優秀介護施設に選ばれるなど国内・世界から注目されている。42歳。

https://www.grundtvig.co.jp/

☎0466-54-7006

僧侶と料理人の資格を持つ。日頃お寺に縁がない人に少しでもお寺やお坊さんを知って身近に感じてほしいと、2018年に六会日大前駅の程近くに飲食店「坊さんキッチンen」をオープンした。2020年夏には僧侶としての活躍の幅を広げるため、湘南台に真宗大谷派六縁寺を開所した。33歳。

https://rikuenji.amebaownd.com/pages/3964602/profile

専門は文化人類学。テーマはサファリング論、ケア論、専門性研究など。「ケアと共同性の人類学―北海道浦河赤十字病院精神科から地域へ」「日本における『看取り文化』を構想する」(2022年刊行予定)など著書があり、ぐるんとびーでの看取りについて現地調査を行っている。68歳。

<コンテンツ>
◎葬儀の現状と課題
◎家族と死や葬儀の話している?
◎コロナ禍で増加、家族葬の在り方とは
◎これからの地域社会での葬儀の在り方

葬儀の現状と課題

森井 葬儀社が主導するマニュアル通りのいわゆる〝形式的な葬儀〟が一般的です。葬儀を行う方々からも「普通」や「一般的」、料金も「真ん中くらい」なものが求められています。

コロナ禍では家族葬など少人数葬を選択される方が増えています。一方で、コロナを理由に縮小・簡素化しすぎてしまうのは不安です。こういう時代だからこそ、家族や親族、友人、仲間、携わってきた人とのつながりを再確認して、しっかりとお見送りした方が良いと思います。家族や身内だけで送るのも良いのですが、一つの方向に偏ってしまうのは良くない。コロナはひとつ時代として、「でも故人は、ご家族は、お仲間はどうしたいの?」という部分をしっかり聞きたいです。

どれだけ時代と環境が変わろうとも、故人との最期のひとときに「ありがとう」と言える時間と、空間づくりは普遍的に必要だと考えております。

浮ケ谷 つながりという観点でいうと、葬儀に参列する際、参列者が認知症となると、たとえ夫婦であっても「何があったか分からないだろうし、何かあったら困るから」と参列しないというのは割と一般的です。でもやっぱり認知症だろうがなかろうが、人として、痛みを感じて弔いたいという気持ちは、やっぱり人間の根源に残っていると思うんです。ただ葬儀会場の配慮がないとなかなか難しい現状があります。

菅原 介護施設のスタッフも葬儀に参列できず、亡くなった後は、葬儀社に任せっきりになってしまうというのは多いと思います。

浮ケ谷 葬儀は施設や病院のスタッフにとっても、グリーフケア(大切な人を亡くした悲しみから立ち直るためのケア)になります。遺族もスタッフに故人の知らない一面を教えてもらえる機会でもあるし、双方にとってメリットがあります。さらに言うと、亡くなった人はその経験を与えてくれている存在。それを全部葬儀社に丸投げ状態にすると、その機会さえ奪ってしまうことになりますね。

死は日常の延長にあり

菅原 介護事業者が介護だけ、葬儀社が葬儀だけをやっていると、死や葬儀という本来は暮らしの中に当たり前にあることが、暮らしから切り離され、身近に感じられなくなっていると思います。今でこそお寺は初詣や葬式のイメージになっていますが、昔はお寺などが生と死と暮らしをまぜる「拠点」だったんでしょうね。

浮ケ谷 日本のお寺の数は、コンビニの数より圧倒的に多いんです。その話をすると皆ビックリしますね。それはコンビニは日常生活の一部だけど、寺は一部になっていないということ。また、そもそも死の話がタブー視されている現状があります。家族でもなかなか話が出来ない。妙な遠慮があります。

佐々木 坊さんキッチンでは、店主がお坊さんだって知られているから、死や葬儀の話は多いです。みんな潜在的に求めているなって思います。ただ誰に話して良いか分からないだけ。死は身近なものなんです。それを何か隠したり、遠ざけようとしているっていうことが問題ですね。

家族と死や葬儀の話している?

森井 葬儀や死についての話を、「身近な人ほど話せない」という人、結構多いですね。第3者の方が話しやすいのかもしれない。特に葬儀社に相談に来る方はそういう方が多いと思います。

佐々木 病院でいざ亡くなりました、何も決めていません、納得できる葬儀ができませんでしたという方、結構多いですよね。

浮ケ谷 葬儀社によりますが「すぐに葬儀やろう」という話になると、それまで葬儀や死についての話を全くしていない遺族の人たちが、葬儀社さんと初めて会って打ち合わせして…となると、悩んでいる暇もない。「とにかく決めていかないと」という気持ちになる。そうすると、「とにかく普通はどうしてるんですか」と葬儀社さんに聞いて、進めていく形になってしまうんですよね。

森井 それはありますね。分からないからそうなってしまうんですよね。

浮ケ谷 それはそれで良い人もいるのかもしれないけど、「故人に自分の気持ちを伝えたい」という人は、そのスピード感の中では話に置いて行かれてしまう。そして、あっというまに葬儀も終わって、残るのは疲れだけ

森井 かながわセレモニーサポートは、焦っている方々には特に「時間をかけてひとつずつやっていきましょう」と提案するようにしています。準備を進めているうちに、気持ちの変化があったり、例えば、遺影の写真を探している時に、故人との色んな思い出が浮かび上がってきてほしい。そういう時間が“つながりの再確認”になっていると思う。

浮ケ谷 まだ元気なうちに、葬儀や死について「自分はこんなんがいいな」って明るく話せると良いですよね。音楽好きだから音楽にこだわりたいとか、写真が趣味だったら今まで撮った写真を展示するとかね。うちは夫婦で花が好き。なので近くの公園できれいに花が咲いている時期に、「じゃあ今日は遺影の写真とりにいこう」ってお散歩にいった。だから死に対して「縁起でもない」って考えるのではなく、人間のプロセスだから、普段の会話でお話しできると良いですね。

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コロナ禍で増加、家族葬の在り方とは

浮ケ谷 自分の子どもが赤ちゃんの時にお世話になった隣の家のおじいちゃんとおばあちゃんが亡くなった時、葬儀に参列したかったのですが「家族葬になりますのでご遠慮ください」って言われてしまった経験があります。「最期にお別れもできないのか」ってさみしい気持ちになりました

森井 それは家族葬の変えていきたいところですね。もちろん身近な家族だけで行うのも良いのですが、ほかにも故人の人生に携わってた人がいるっていうことを忘れてはいけない。過去につながってた人は必ずいます。身内以外の人たちが、死の一報が入った時に、「最期にお別れしたい」と思い、亡くなるのが急だった場合は「せめてお線香をあげさせて」と思うのは当然の事だと思うし、大事な気持ちだと思います。声が掛からなかった場合、「何かいけないことしたかな」という感覚になってしまう人もいますよね。

佐々木 呼ばれなかった人の悲しみは深く、その後引きずってしまう場合も少なくありません。その思い違いは良くないと思うので、私も相談されたときは、「身内しか呼ばないのも良いですが、その形にすることを呼ばない人にきちんと伝えてください」と伝えるようにしています。それが結構大事で「知らずに終わった」というのがとても無念。自分に置き換えてもそうですよね。

浮ケ谷 偏ってしまうのは良くないですね。呼ばれるのが迷惑だと思う人もいるとは思いますが、それはしょうがない。だけど一方で、これまでのお付き合いの経験が残っているわけだから、「お線香の1本でもあげてお別れをしたい」という気持ちそう思っている人の機会を無くしてしまうのではなく、新しい場所を作ってあげないとって思います。でも通夜や告別式というと正式な感じがして、お金包んで、喪服を用意して…となる。そうではなくて、もう少し気軽に立ち寄れる場があると良いかもしれない。ちょっとした祭壇があって、お花やお線香あげらる場があるといいですね。

森井 実際、2021年9月にサーファーのレジェンドが亡くなった時、奥さんや子どももいない方だったので、葬儀を行うのは兄弟。その兄弟も料金など負担できないも部分もあって、家族はお葬式はしなくて良いと考えていました。

けれど話を聞いていくうちに、レジェンドだったので仲間がたくさんいることが分かったんです。それであれば「仲間の皆さんが葬儀を執り行うのはどうですか」と提案しました。「お別れ会」という形で友人の「お気持ち」を葬儀代にあてることで費用面も調整しました。服装も関係なくアロハシャツだったり、BGMもボブ・マーリーが流れていたり。宗教的なことも一切せず「最期にお顔を見る機会」としました。コロナ禍で世間体もありました。計600人近くいらっしゃったのですが、時間を長く設けることで密を避けました。

「お葬式」という形にすると、1時間とか決められた時間の中で参列することになりますが、それは取っ払って、16時から21時までの5時間の間に自由に来てくださいとしました。参列してくださった人は皆、「この時間があってよかった、コロナ禍でも最後に一目見たかった」と仰っていました。葬儀社も「コロナだから家族だけでやりましょう」という提案をするだけではなくて、コロナは一つの時代として「でもどうしたいの?」というところをしっかり聞きたいなと思いました。

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エンバーミングも選択肢のひとつ

  • エンバーミングとは…ご遺体に消毒殺菌・防腐・修復・化粧をし生前の姿に近づける技術。 遺体の状態変化が軽減されるため、時間に余裕ができる

浮ケ谷 残された側の気持ちの問題ってありますね。アメリカは死生観も異なりますが、1週間くらいお別れの時間をとっています。そのためにエンバーミングをします。

森井 日本は四十九日までに火葬するという決まりがあります。エンバーミングの技術も上がってきていますし、バタバタとすぐにお別れするより、長く時間を設けることも良いですよね。

浮ケ谷 自分の都合に合わせてお別れのあいさつができますね。会社帰りに時間ができたとか、通勤の途中に寄ることも。それが良いってわけではないですが、そういう方法もあります。

森井 そういった「色んな方法がある」ということをもっと伝えていかなきゃいけないですね。

葬儀社都合で「すぐやらないと」となる場合も少なくありません。そうではなくて、しっかりと故人とご家族の希望を聞く。淡々と進めているご家族に、ゆっくりとお別れの時間がとれる方法があると提案すると「そんな方法もあるんですか」という反応が返ってきます。

お葬式の時間を長く設けられるようになると、死が“日常の延長”にもなってきます。でも一方で怖いのは、「じゃあこのままでいいじゃん」となること。だから四十九日に合わせて日取りだけはきちんと決めた方がいいですね。

浮ケ谷 感染の危険性もあるからこそ、エンバーミングを取り入れると葬儀社としてもご遺族としても安心できるところがあると思います。ただアメリカは土葬、日本の場合は火葬なので、必要ないと思う方もいらっしゃると思います。お金もかかるしね。

森井 比較的リーズナブルになってきていますが、15万円くらいでしょうか。ドライアイスを使って1週間延ばすなどとなってくると、加算されていきますね。

浮ケ谷 夏場に亡くなる方結構多いようなんですけど、夏場に亡くなり、火葬場が開いていない時にはエンバーミングをやる人もいらっしゃいますよね。

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これからの地域社会での葬儀の在り方

菅原 今は、形やルールに縛られすぎてしまっていると思います。なのでこれからは「そもそも何のためにやっていたのか」と原点に立ち戻る時期ではないでしょうか。人が亡くなったという悲しみを共に乗り越えていくことで、また次のつながりが生まれていく。認知症のおばあちゃんが葬儀に参列して、泣いている娘さんをなぐさめて母の役に戻れる場面がありました。そういう場面を奪わずに、死生観を地域や人の手に戻していく

地域で葬儀というイベントを共に創り、共に送り出すことで、地域のつながりが生まれ、死が怖いものではなくなっていく。形に縛られすぎるとできないことだと思っています。

森井 故人が知っている場所で、家族や友人はもちろん、これまで関わった人たち皆で見送ることがこれからの地域に必要ですね。「自宅葬」もその選択肢のひとつで、慣れ親しんだ自宅で、故人が好きだったものを皆で作って、お気に入りのお皿に盛って、食事をしながら故人との思い出話に花を咲かす。そんな各家族のオリジナルの葬儀は、自宅の風景と共に、記憶に残るものになると思います

浮ケ谷 日本で自宅よりも病院で亡くなる人数が上回ったのは、たった50年ほど前のこと。自宅で生まれて自宅で亡くなる。一昔前までは当たり前でしたよね。現在は全体の8割弱の方が病院で最期を迎え、出産も98%くらいは病院。生き死にどちらも医療化してきています。

佐々木 寺や葬儀社のホールでお葬式をやっていても、通りかかった人は何とも思いません。でも地域に開けたところでやることで、「人間いつ死ぬか分からない、明日死ぬかもしれないんだよ」って、今まで遠ざけてしまっていた死を、身近なものだと再確認させてくれる場になると思います。

葬儀はもっと自由で良い

菅原 カフェやレストランなど、生前思い入れのあった場所で故人を偲ぶことがあってもいいのかもしれない。大切なのは形ではなく、誰とどう最期の時間を過ごすかだと感じます。

森井さん(かながわセレモニーサポート)は、大切なのは形ではなく、「誰とどう最後の時間を過ごしたいか」に寄り添い、どうしたら良いかを一緒に考えてくれる。仕事としてではなく、人として、その想いをすごく大切にしてくれています。目指す葬儀の在り方を共有できているからこそ、ぐるんとびーは連携させてもらっています。

生前から葬儀について話し合うというのは難しいと思いますが、僕ら介護事業所が“つなげる”ことで、より豊かな葬儀の在り方も一緒に話し合っていけます。また、生前や日常から葬儀について話し合うことも、死を怖いものとして遠ざけてしまう文化を変えていくことにもつながると思っています。葬儀は、自分が家族や地域へ残せる最後のイベント(プレゼント)にもなり得る。元気なうちから気軽に相談にいってみるのも良いのではないでしょうか。

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森井 葬儀社が運営するセレモニーホールを使わずとも公営斎場や自宅、介護施設、団地やマンションの集会所から送り出したって良い。家族ではなく、友人が主催して葬儀を行うこともできます。固定観念にとらわれすぎず、いくつも選択肢があることをより多くの人に、知って頂けると良いですね。

葬儀の選択肢レポートはこちら

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公開日:2022-01-01

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