ロシア雑貨店「VOLGA(ヴォルガ)」
ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2024年2月で2年となる――。戦争が長期化する中で、両国それぞれからマトリョーシカを輸入している会社がある。生田にあるロシア雑貨店「VOLGA(ヴォルガ)」(梅村良恵代表)だ。
梅村良恵代表
梅村さんは東海大学でロシア語を学び、モスクワ大学に1年間留学。卒業後、日本のロシア専門商社に勤務した。「もっとロシア雑貨の魅力を世の中に広げたい。マトリョーシカは日本とロシアの懸け橋になる」。そう信じて、2016年春に独立を果たした。ロシアの伝統的なデザインを残しながら、日本人にも好まれる自社オリジナルの商品作りにも挑戦、販路を徐々に拡大していった。18年からは、マトリョーシカの形をしたガラス製の小物入れも。雑誌に取り上げられ、注目を集めた。花瓶など、ロシアのガラス製品も取り扱うようになった。
コロナ前までは、ロシア人の職人を呼び、全国各地でワークショップも開催していた。コロナ禍でも「おうち時間」が増えたこともあり、売上は順調に伸びていった。
取引中止も
梅村さんには、ウクライナ人とロシア人の友人が多くいた。その中にはウクライナに住むロシア人、ロシアに住むウクライナ人もいた。友人たちは「戦争なんて始まるわけない」と口を揃えた。だが、戦争は突如として始まった。世界的な反ロシア感情の高まりを受け、一部販売店との取引が中止となり、売上にも影響が出た。
「文化的にも近い」
「マトリョーシカというとロシアのイメージが強い。でも、実はウクライナでも作られている伝統工芸品。それぐらい文化的にも近い国同士なのに」と梅村さんは唇をかむ。「何かできないのか」。侵攻後、ウクライナからのマトリョーシカ輸入を決意する。
現地に行くことはできず、電話交渉となった。22年4月に首都・キーウの北にある工場と電話がつながったが、工場の職人たちはポーランドに避難している状況だった。空爆で主要駅も機能停止していた。「いつ帰れるか、分からない」。そう言われた。それでも、梅村さんは待ち続けた。
6月に電話すると、行方不明となった人も多く、工場は動いていなかった。だが、在庫のマトリョーシカ約50体を輸入することができた。販売店に送ると、ロシアとウクライナそれぞれの国で作られたマトリョーシカを一緒に並べ、平和を願うコーナーが設置された。約50体すべてが売り切れたという。
23年2月、侵攻後にウクライナで作られた約30体が届いた。梅村さんは、今も両国の工場との取引を続けている。また、ウクライナを代表する装飾芸術で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産に登録されている「ペトリキウカ塗り」の木製小物などの輸入も開始した。
複雑な思い抱え
今後も両国からの輸入を続けていくという。だが「ウクライナ人に、ロシア人と取引をしていることは、まだ言えていない」と複雑な思いを吐露する。ウクライナ人の友人はかつて、SNSをロシア語で投稿していた。侵攻後には、すべてがウクライナ語に変わり、梅村さんには意味が分かりにくくなった。
梅村さんは「ウクライナ人が”完璧な”ロシア語で、ロシアに対する憎しみを語るのを聞いて心が痛い。両国がまったく違う国のように日本では報道されているが、違和感がある。言語も文化も近い国」と述べた。「何十年先になるかは分からないけれど」と前置きした上で「マトリョーシカで両国の懸け橋になりたいと思う」。強い決意で事業を継続していく。