「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」日本人なら誰もが知っている正岡子規の俳句である。
この句は明治28年11月愛媛の海南新聞に発表されましたが、元が建長寺の鐘である事はあまり知られていません。この2ヵ月前文豪夏目漱石は心の病を治す為鎌倉を訪れ「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」という句を同じ海南新聞に発表しています。子規と漱石は郷里が同じ松山で、この時期子規は漱石の下宿に仮住まいし親交を深めていました。歌人坪内稔典は子規がこの句を作った際、頭のどこかに漱石の建長寺の句があったのではないかと推測しています。
奈良法隆寺には3つ鐘があり、子規の句に登場する鐘は国宝西円堂にあります。現在は二代目となりましたが今でも「とき」を知らせています。残る二つの鐘はそれぞれ国宝の西院鐘楼と東院鐘楼の鐘です。一方建長寺の鐘は市内最古の常楽寺梵鐘(国重文)・円覚寺洪鐘(国宝)と合せ鎌倉三名鐘の一つに数えられ、こちらも円覚寺洪鐘と同じ鎌倉では数少ない国宝です。建長7(1255)年関東の鋳物師筆頭、物部重光により鋳造されました。銘文により大旦那は建長寺開基の幕府五代執権北条時頼、撰文は開山蘭渓道隆です。関東一美しい梵鐘として知られ、音色が人の泣き声に似ていることから「夜泣き鐘」とも言われています。
この時期鎌倉を訪れた漱石は円覚寺に参禅しています。なぜこの句を詠んだのが建長寺だったかは今でも謎である。
井上靖章