院長の歩んできた道~人生Story<トータルケア綱島>

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院長の歩んできた道~人生Story<トータルケア綱島>

生まれ育った町

私は1964年2月1日に九州、熊本県菊池市で生まれ3歳までこの地で育ちました。母の実家が旅館を経営してたこともあり、休みの度に家族で里帰りをしていました。菊池市は、豊かな自然と歴史ある温泉地で知られ、昔ながらの風情が今も息づく美しい町です。私が幼少期を過ごしたこの地は、四季折々の風景に彩られ、自然の中で遊びながら成長しました。

特に印象深いのは、家の近くにある菊池渓谷での思い出です。夏になると、涼を求めて家族で渓谷へ出かけ、透き通るような川で遊んだり、川辺でバーベキューを楽しんだりしました。木々に囲まれた渓谷で、澄んだ空気を吸い込みながら過ごす時間は、私にとってかけがえのないものでした。

また、秋には菊池神社のお祭りが開かれ、町中が賑やかになります。神社の境内で行われる伝統的な舞踊や、夜空を彩る花火大会は、子ども心に夢のような光景でした。家族や親戚と一緒に祭りを楽しみ、地域の一体感を肌で感じることができました。

このように、自然の美しさや地域の人々の温かさに触れたことで、他者を思いやる心や自然への敬意を学びました。この地で培った価値観が、今の私を支えてくれています。

憧れ

父の仕事の関係で、3歳から工業で有名な福岡県北九州市に引越しました。新しい環境に戸惑いながらも、小学生になる頃には、ベンポスタ共和国のサーカスや一大ブームを起こしたローラーゲームに夢中になっていました。

特にローラーゲームでは、ローラースケートで滑る選手たちのスピード感と力強さに憧れ、毎日のように練習に励みました。サーカスの技も習得したくて、公園でバランス感覚を養う練習を繰り返し、自由な身体の動きを追求していました。

しかし、ある日、自転車で両手放しをしての練習中にバランスを崩して壁に激突してしまいました。さらにその直後、不運にも車にはねられる事故に遭ってしまいました。幸い命に別状はありませんでしたが、この事故をきっかけに、私の中でそれまでの情熱が薄れ、サーカスやローラーゲームの夢を諦めることになったのです。

探し求めた日々

その後、私は新しい夢を探し求めるように、野球、空手、卓球、バンドと様々なことに挑戦しました。それぞれに情熱を注ぎ、特にバンド活動では音楽の魅力に引き込まれました。実際、中学の文集には「歌手になる」と書いていたほど、音楽に対する思いは強かったのです。

実家の仕事

実家の仕事が当時ボーリング業(掘削工事、地質調査等)を経営しており、跡継ぎとして一家の仕事を支える責任を感じながら日々働いていました。しかし、ある日突然、腰に激しい痛みが走り、動けなくなってしまいました。医師の診断は椎間板ヘルニア。立ち上がることすら困難な状態で、痛みと痺れに苦しむ日々が続きました。

何とかしてこの痛みを克服しようと、「どこの治療院が良い」と聞けば県外でも行って治療を受けたほどでした。その中で、特に効果を実感したのが鍼灸とカイロプラクティック、そして運動療法でした。これらの治療を続けることで、徐々に痛みが和らぎ、最終的には腰痛から完全に解放されました。

今では、かつての激痛が嘘のように、腰痛知らずの生活を送っています。この経験が、同じように苦しむ人々を助けたいという思いを強くし、現在の仕事に繋がっています。

旅立ち

腰痛という苦しみを乗り越えた私は、その経験から強い決意を持ちました。「自分のように苦しんでいる人を一人でも多く救いたい」。その一心で、全てを捨て、新たな挑戦を求めて上京しました。手持ちはスポーツバッグ一つ。中には最低限の荷物、そして根拠のない自信と、大きな夢だけ…。

家族や故郷を離れることは心細いものでしたが、私には使命がありました。それは、腰痛で苦しむ人々に希望を与えること。今、私は多くの人々の痛みを取り除く手助けをしています。あの日、すべてを捨てて一歩を踏み出したことが、たくさんの笑顔を取り戻す原動力となりました。この道を選んだことに、心からの喜びと充実感を覚えています。それが、私がこの道を選んだ証なのです。

汗水流して働いた日々

上京してからの私の生活は決して容易なものではありませんでした。生計を立てるため、私は日本三大ドヤ街の一つ、横浜寿町で肉体労働に従事しました。厳しい環境の中でも、私は若さと目標を持っていたために、何も辛く感じることはありませんでした。むしろ、一日一日を生き生きとした気持ちで過ごし、将来の夢に向かって着実にお金を貯めることができました。

専門学校時代

その貯めたお金で、私は鍼灸マッサージの学校に通い始めました。学びの場では、熱心に技術と知識を吸収し、腰痛で苦しむ人々への具体的な手助け方法を身につけていきました。学校での学びは私の情熱をさらに燃え上がらせ、専門家としての自分を一層確かなものにしていきました。

この期間は、人生で最も充実していた時間の一つです。厳しい肉体労働の日々と、学びに打ち込む夜が続きましたが、それら全てが今の私を形成する重要なステップであり、振り返ればそれぞれが貴重な経験となりました。

治療院を開業

国家資格でもある鍼灸マッサージの資格を取得してすぐに私は、クラスメイト3人を誘い、自分の資金で治療院を開業しました。期待と希望に満ちたスタートだったはずが、現実はまったく上手くいきませんでした。私にはコネもなく、潤沢な資金もない、そして開業したばかりの治療院には信用もありません。まさに「ないない尽くし」の状況でした。

そんな中、経営がどんどん悪化し、借金が雪だるま式に増えていきました。やむを得ず、消費者金融に頼る日々が続き、気がつけば借金地獄に陥っていました。心の中では、どうにかしてこの状況から抜け出したいと強く思っていたものの、なかなか解決策が見つかりませんでした。

友人の支え

経済的な窮地に立たされた時、小中学校時代からの親友が私の窮状を知り、躊躇することなく手を差し伸べてくれました。彼は私の治療院のビジョンを信じ、お金を借りる保証人となってくれたのです。この時の彼の支えがなければ、私の夢はそこで潰えていたかもしれません。

彼の無償の支えによって、私は経営を立て直すための時間を得ることができました。徐々にですが、治療院は軌道に乗り始め、患者様も増えていきました。経営が安定し始めた今も、その友人とは深い絆で結ばれています。その絆は時間が経てば経つほど強固なものとなっています。今でも彼は私の最も信頼できる友人であり、お互いの成功を心から喜び合っています。彼の存在は、私の人生においてかけがえのない宝です。

詐欺に遭う

治療院がようやく軌道に乗り始めた頃、私はさらなる成長と効率化を目指して、外部のコンサルタント会社と契約を結びました。このコンサルタント会社は、マーケティングの戦略立案、ホームページの作成、動画撮影など、私のビジネスを包括的にサポートすると謳っていました。彼らに対する信頼と期待は大きく、全ての業務を5年間彼らに任せる契約を交わしました。しかし、その決断が思わぬ災難を招くことになりました。

契約から1年も経たないうちに、そのコンサルタント会社が突如倒産してしまったのです。予定されていたサービスは中途半端な状態で放棄され、最悪のことに、私が支払った多額の前金とともに、未来にわたるサービスの提供も消えてしまいました。

さらに深刻な問題は、コンサルタント会社との契約で結んだローンが残っていることでした。サービスは受けられず、提供会社は消滅し、残されたのは重い負担となるローンのみ。この事態に私は詐欺に遭ったと感じざるを得ませんでした。このことは私にとって大きな痛手となり、再び経営の危機に直面することになりました。

しかし、これまで数々の試練を経験してきたため、どんな困難も乗り越える決意を新たにしました。信頼と誠実さを大切にし、自分自身で直接患者様と向き合うことの重要性を改めて認識しました。そして、少しずつですが、その信頼を基にビジネスを再建し、前に進む力を得ることができました。

運命的な幸運

運命は時に不思議な形で幸運をもたらします。私の治療院が以前から入居していたビルのオーナーが、意外な提案をしてくれました。長年、家賃を支払ってきた治療院のスペースを、非常にリーズナブルな価格で私に譲るというのです。この提案は、私にとってまさに天の助けでした。その後、さらなる幸運が続きました。購入したその場所が、地域の再開発計画において新たなビルの一部に位置することが決定されたのです。

これにより、私の治療院はより良い環境、つまり再開発されるモダンなビルへと移転する権利を得ることができたのです。新しいビルは立地が良く、より多くの患者様がアクセスしやすい位置にあります。また、新たなビルへの移転は、私たちのサービスを一新し、さらに魅力的なものにする機会を与えてくれています。

新しいスペースは、クリーンで現代的なデザインが施され、患者様にさらにリラックスしてもらえる環境を提供することができます。このように以前の苦労や困難があったからこそ、このチャンスをより大きく感じることができたのです。再開発プロジェクトへの参加は、治療院の将来にとって明るい展望を開いてくれました。

度重なる災難

しかし、また災難が。治療院がようやく軌道に乗り、さあこれからという時に、まさかのコロナウイルスが襲いました。一気に患者様は激減し、普段は賑わっていた街からも人が消えました。まるで時間が止まったかのように静まり返った街を見ながら、私たちは再び大きな試練に直面していることを実感しました。

しかし、こんな時こそスタッフと力を合わせることが大切だと改めて感じました。みんなで一丸となり、できることを見つけ出し、少しずつ前に進もうと決意しました。新たな施策を導入し、工夫を重ねながら、共に励まし合い支え合う日々が続きました。その結果、私たちはこの難局を乗り越え、再び治療院に活気が戻ってくる瞬間を迎えることができました。

この喜びは、何よりもスタッフと共に掴み取ったものです。彼らの努力と信念がなければ、ここまで来ることはできなかったでしょう。心から感謝しています。スタッフ全員の力があってこそ、私たちは困難を乗り越え、今こうして前を向いて歩んでいけるのです。本当にありがとう。皆んなのおかげで、治療院が再び笑顔で溢れる場所になりました。

ビルの完成

現在、私たちの治療院は駅直結の新しい再開発ビルに移転し、毎日が活気に溢れています。便利な立地と新しい設備のおかげで、多くの患者様にご利用いただけるようになり、スタッフ一同、日々充実した時間を過ごしています。これまでの困難を乗り越えた先に、この素晴らしい環境が待っていたことを心から嬉しく思います。これからも地域の皆さんの健康を支え続け、さらに多くの笑顔を届けられるよう努力していきます。

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公開日:2024-09-06

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