ソニー株式会社で執行役員上席常務を務め、退社後に地元・神奈川県小田原市で有限会社みのさんファームを設立。地域で活動する団体や人、また次代を担う若者たちを応援している蓑宮武夫さん。まちづくり、人づくりへの思いを聞きました。
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◆「夢の実現を本気で信じる」
◆志ある若者を応援
ー「龍馬塾」から未来のリーダーを輩出
◆二宮尊徳翁の教え「一円融合」
ー7つの小学校に「金次郎像」を
◆情熱・好奇心・提言etc.著書に込めた思い
◆小田原の街中に映画館をつくる!
「夢の実現を本気で信じる」
ソニーとの出会いは小学校の放送室。放送委員だった蓑宮少年は給食の時間になると、放送室から音楽や朗読劇を流していたそうです。「テープレコーダーが回っているのを眺めているだけで幸せでした」という、その機器に記されていたのが「東京通信工業株式会社」(ソニーの前身)。
「将来この会社に入って、みんなの心をワクワクさせるようなものをつくるんだ!」という情熱を持ち続け、早稲田大学を卒業後、ソニーに入社しました。
「ウォークマン」「ハンディカム」「VAIO」など独創的な製品を続々と生み出し世界を席巻したソニーも、入社当時はまだ規模が小さく「発展途上」だったといいます。高度経済成長の入り口でどの企業にもチャンスがある中、ソニーが大きく飛躍した理由は何でしょうか。蓑宮さんは「他の会社から見れば『夢物語』だと揶揄されるものでも、ソニーの社員は本気でその実現を信じていましたね」と振り返ります。
志ある若者を応援
ソニー退職後に設立した「有限会社みのさんファーム」(2006年)や発起人となった「小田原藩龍馬会」(2012年)などを通じて、蓑宮さんは積極的に若者をサポートしています。「それまで、たいした男ではなかった坂本龍馬が、19歳の時に江戸で黒船を見て『このままでは日本が西欧の奴隷になる』と志を立てた。そんな若者の情熱が未来を変えるんです」と若者への期待を語ります。
「龍馬塾」から未来のリーダーを輩出
小田原藩龍馬会の主な活動のひとつが「龍馬塾」。地元企業の経営者をはじめ著名な経済人、大学教授らを講師に迎え、若者が2泊3日で学ぶ機会を提供しています。また小田原の歴史や、報徳二宮神社(小田原市)の宮司による二宮尊徳翁についての講義もあります。また恒例の流鏑馬(やぶさめ)体験では、若者が実際に馬に乗りながら、伝統文化を肌で感じています。「これからの時代を切り拓く、日本人としてアイデンティティを確立した上で、幅広い視点から問題解決に取り組める未来のリーダーを輩出したい」といいます。
二宮尊徳翁の教え「一円融合」
小田原出身の偉人・二宮尊徳(金次郎)。薪を背負いながら本を読む「勤勉な少年」のイメージが広く知られていますが、成人してからは農政家として独自の方法(報徳仕法・報徳思想)で約600もの荒廃した農村を再興させました。その尊徳翁を御祭神として祀っているのが報徳二宮神社です。
蓑宮さんは、報徳二宮神社の崇敬会「小田原報徳社」の社長も務めています。「至誠・勤労・分度・推譲」の教え、また「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」という道徳経済一元論など、「尊徳先生は、現在のSDGsの理念を先んじて実践していた」といいます。
そして「また、世の中にあるものすべてはお互いに働きかけあって存在しており、一人の力でなせるものなど無い。世界は円のようにつながりあってできている。そのつながりを大切にしながら生きることが人としての幸せである」という『一円融合(いちえんゆうごう)』の考え方が、現代の地域社会に最も重要だと力を込めます。
7つの小学校に「金次郎像」を
小田原報徳社は2023年秋、あるプロジェクトをスタートさせました。小田原市内にある小学校25校のうち、二宮金次郎像が設置されていない7校に銅像を贈ろうというもの。費用は報徳社だけでなく、市の教育委員、小学校、自治会、地元企業などに広く募金を呼び掛けます。「小学校の子どもたちはもちろん、保護者や先生、近所の皆さんにとっても金次郎の訓えに触れるきっかけになればうれしいですね」。地域全体がかかわる「一円融合」の精神でプロジェクトの実現へ一歩ずつ進んでいます。
情熱・好奇心・提言etc.著書に込めた思い
2020年発行の記念すべき1冊目『されど、愛しきソニー』に始まり、これまでに手掛けた著書は10冊(2023年9月現在)。情熱を捧げたソニー、ライフワークの坂本龍馬にとどまらず、地方創生、女性活躍、SDGsなどテーマは様々。現地に足を運び声を聴き、また自身で調べたものを、自分の言葉にして読者に語り掛けます。「共通しているのは『がんばれ!』というメッセージ」と笑顔で語る蓑宮さんです。
小田原の街中に映画館をつくる!
「子どものころから映画が大好きでした」。好きな作品を聞くと、次々とタイトルを挙げながら目を輝かせる蓑宮さん。最盛期、小田原駅周辺には映画館が8つあったそうです。時代の流れ、そしてシネコンの登場も相まって2003年を最後に小田原駅周辺の映画館はすべて閉館してしまいました。
今では大型テレビの画質や音響が良くなり、インターネット経由で多くの作品を自宅で楽しむことができます。では映画館の価値とは?蓑宮さんは答えのひとつとして「五感すべてを使い楽しむこと」。チケット買い席を探して座り、劇場内が暗くなりいよいよ映画が始まる高揚感。上映中は手に汗を握り、笑い、涙を拭き―。さらに、同じ空間で同じ体験をすることで「共感力」も育まれるといいます。
「いつか小田原の街中に映画館をつくりたい―」。胸の内で温め続けてきたた「夢」が、いよいよ実現の時を迎えます。蓑宮さんの思いに賛同した地元企業の経営者らが集まり、2022年夏、蓑宮さんをトップとする小田原シネマ株式会社が設立されました。
計画が進んでいる映画館の名前は「小田原シネマ館」。スクリーンが一つのいわゆるミニシアターで、レストランが併設されます。「大人には、職場でも家庭でもない、ホッと一息つけるサードプレイス(第3の場所)に―」「夏休みには小学生を招待したいな」。次々と浮かぶアイデアに目を輝かせるその顔は、映画館に通っていた少年に戻ったようです。
取材後記
ミニシアターは完成してからが本当の勝負。スクリーンの明かりを守り続けるために「小田原をはじめとする地域の皆さんに愛される場所、そして文化発信の拠点にしていきたい」。蓑宮さんの「夢」は、まだまだ現在進行形です。