尺八に触れて約62年の人生。その音色は海の向こうにも

篁 竜男さん
篁(たかむら)竜男さんは、現役で活動する民謡尺八奏者。演奏家として約62年のキャリアを持ちこれまでも「NHKのど自慢大会」の関東甲信越方面で25年以上出演の経歴を持ち、舞台出演やレコーディングやTV・ラジオ局での演奏と、全国各地で長きにわたり活躍。またハワイやメキシコ、フィリピン、そしてアメリカでの演奏と、日本の伝統楽器である尺八の魅力を海外でも伝えてきました。
- フィリピン文化交流での演奏
- メキシコ文化交流での演奏
2025年で73歳を迎えますが「尺八を辞めたいと思ったことは一度もない」と笑顔で話し、現在でも地方のラジオ局やレコーディング、後進の育成、そしてyoutubeも始めたりと、その情熱は衰えを知りません。
魅了された音色。尺八との出会い

横須賀出身の篁さんが尺八の出会ったのは、小学3年生の頃。家族で大衆演劇を映画館で見ることが多く、時代劇の作品の虚無憎が奏でた尺八の旋律に「なんて美しい音なんだ」と心を奪われました。あれから60年経ちましたが、当時の記憶が鮮明に残っており「忘れることないですね」と話します。小学5年の頃、自衛隊員だった兄が寮で尺八を習っており、面会の際に初めて尺八に触れました。その場で吹いてみるも、そう簡単に音は出ず。次に会う時までに上手くなると約束を交わし、家で練習に励むように。簡単な曲でしたが、約束通り兄の前で披露すると、とても喜んでくれたそうです。「初めてのお客さんは兄だったかも」と振り返ります。
転機となる出会い、本格的に尺八の道へ
尺八の面白さに魅了され独学で練習していた篁さんは、16歳の頃に横須賀で尺八奏者の三留指山さんが尺八教室を開いていたことを知り、母の勧めで趣味として教室に通い始めることに。高校卒業後は、設計の仕事しながらも「もっと上手くなりたい」と思い、19歳の頃から転機となる故・米谷威和男さんの教室に通うように。
米谷さんは民謡尺八の第一人者と言われており、当時、米谷さんの元には尺八のレコーディングやテレビ番組での演奏機会などの多岐にわたる演奏依頼が次々と舞い込んでいました。しかし米谷さんには未来ある若手の弟子がおらず、来た依頼を篁さんも受けるようになりました。「レコーディングなんてやったこともないけど、師匠が『大丈夫、大丈夫!僕のマネすればいいから』なんて簡単に言うんですよ」と当時を懐かしみます。
「当時は、まだ会社員やりながら、黙って尺八の仕事をしていたから、上司に『なんでテレビで尺八吹いているの?』」と怒られたエピソードもありますが、こうして篁さんはプロの現場で研鑽を重ね、尺八奏者の道を本格的に歩み始めます。
地元への恩返し、音色が紡いだ縁を大切に
プロの世界で経験を重ねた篁さんは、25歳でお弟子さんを取り、後に米谷師匠より名取を許され『竹音会(チクネカイ)』を結成し、門弟育成にも、力を注ぎ始めます。前述のようなNHKのど自慢の関東甲信越方面を始め、TV・ラジオ局での演奏と多忙な日々を送ります。また歳月を経て大師範となるが、後輩に道を譲る為、独立し27年間使用した米谷龍男の名を返上し、『篁 竜男』とし、会の名も「篁会(タカムラカイ)」に改名。「竹と共に歩んで来た人生だから『竹冠』を付けた」とその思いを笑顔で話します。竹音会での記念公演を25周年まで、篁会で記念公演は20周年まで行いながら、海外での演奏と、その地位を着実なものに。
一方で文化の衰退も危惧し、1999年より「日本の伝統楽器を身近に」と川崎大師駅の近くで自宅兼コンサートホール『サロン・ド・バンブー』を営むように。「芸名にも竹をつけているように、お店にも『バンブー』と入れたんだよ」と笑顔で話します。

コンサート出演者で記念撮影。幼い子も出演と伝統文化の橋渡しが伺えます
現在でも年3回程、コンサートを開催。長年にわたって培ってきた信頼で一流の演者や若手の尺八奏者の卵が出演したと、その評判から遠方からの訪れる人も多く、約50席のホールはいつも満員です。「是非一度遊びに来てください」と話します。
みんなで楽しめるよう教室も
また「サロン・ド・バンブー」では、尺八、民謡などの教室を開いており年齢問わず生徒を募集。横須賀、鶴見、川崎などの場所で開講され、篁さんが尺八、横笛、民謡を指導し、日本クラウン専属の紺野初美氏が三味線、端唄、発声などを担当。尺八・横笛・三味線・民謡・端唄・発声といった幅広い邦楽レッスンを提供すると共に、洋楽器とのコンサートや学校公演などの企画・演出も手がけています。
篁さんはこうした功績から2025年度より川崎区文化協会の副会長に任命されました。衰退していく伝統文化を守りながら「これまでの経験を活かし、川崎市に恩返しをしたい」と話しました。










