常に新陳代謝を繰り返し、流行の最先端をいく美容業界で30年以上第一線で活躍する、ビューティークリエイターのTAKAKOさん。寝る間も惜しんで仕事に没頭した時代や茅ヶ崎での過ごし方、サザンオールスターズ・桑田佳祐さんとの秘話などを紹介していきます。
「ちょっと大人びた少女だった」
名古屋出身のTAKAKOさん。同年代よりも年上と遊ぶことの多かった、少し大人びた少女だったと言います。
自他ともに「行動力と度胸があった」と言い、東京で話題のクラブに通ったり、名古屋のテレビ局に「顔パスで入館できるようになった」という逸話をお持ちです。「大人っぽく見えるようにメイクも研究していた。今の時代では考えられないですよね」と可笑しそうに振り返る表情は、とってもチャーミング。
18歳で単身渡英、世界中が庭だった
運命が動いたのは16歳の時。「本物を見た方がいい」と両親の勧めで、ヨーロッパ一周の旅へ一人で参加したこと。ロンドンが持つ美的センスやファッションに「魂が呼び覚まされた」と、高校卒業後、ヘア&メイクを学ぶため単身渡英しました。
卒業後はロンドンに残り、持ち前の「行動力と度胸」で作品の売り込みを開始。インターネットの無い時代のため、雑誌社などに「片っ端から電話をかけまくった」と言い、チャンスを掴むためにがむしゃらに行動したのです。
その結果、色彩感覚に優れていたTAKAKOさんのメイクは、「直すところがない」と美容業界の巨匠や編集者、写真家などの目に留まり、仕事が舞い込むように。そして、更なるクリエイトを目指し、20歳でニューヨークへ。磨き抜かれた感性を武器に、仕事に邁進した結果、ハリウッドスターやセレブリティたちから指名される人気メイクアップアーティストになっていくのでした。
まだ日本中が厚塗りメイクの時代、帰国したTAKAKOさんの作り出すNYスタイルの透明感あふれるツヤ肌は、「ツヤ肌革命・愛されメイク」という言葉を生み出し、大注目の存在に。矢沢永吉さんや桑田佳祐さん、松任谷由実さん、宇多田ヒカルさんらをはじめ、多くの著名人からラブコールが絶えませんでした。
茅ヶ崎の海に癒されパワーもらった
「海もそこに暮らす人も大好き」という茅ヶ崎に引っ越してきたのは40代の時。「海とサザンオールスターズが好きだったからかも」と茶目っ気たっぷりに話してくれます。
小学生の頃からサザンが好きで、当時、偶然に新幹線で乗り合わせた事があったというのです。ここでもTAKAKOさんは素晴らしい行動力を発揮。コーラを差し入れ、勢いのまま音声の録音をお願いしたところ、桑田さんは満面の笑みで「コーラありがとう」とレコーダーに向かって話してくれたのだと言います。
そして、十数年後、コカ・コーラのCMソングになった「波乗りジョニー」のPVでTAKAKOさんが桑田さんのヘア&メイクを担当。エピソードを話した際、桑田さんは「思い出に色をつけていったら思い出した」と微笑んだそう。「一つのことを突き詰め結果、”運命”として”再会”が引き寄せられた瞬間だった」
順風満帆に感じられるTAKAKOさんの人生。もちろん辛いことも歯を食いしばらないといけなかったこともたくさんあったそう。そんな時は「茅ヶ崎の海にパワーをもらっている」と言い、感謝の気持ちを込めてビーチクリーンを欠かさないそうですよ。
【プロフィール】
1987年 18歳でロンドンに渡りHair&makeを学ぶ。MICHIKO LONDON・Vidal・Sassoonなどのコレクション雑誌、i-D・FACE・アリーナ・WWD等に携わり、1989年NYへ。その後ストロボスタジオに入社。一流ブランドのTV-CM&カタログの他、ハリウッドのセレブリティーのhair&Makeを手掛ける。
帰国後も、音楽業界をはじめ、モデルや女優はもちろん、政界に携わる多くの著名人のhair&makeを担当。ビューティに関する高い知見を生かし、有名ブランドのコスメアイテム企画アドバイザーやオリジナルブランドの設立、著書出版、テレビ・イベント出演、講演、雑誌連載、コスメセレクトショップの運営など、多方面で活動の場を広げる。
▼連載『人生を味わい尽くす TAKAKOのfabulous LIFE』