源頼朝の直系は実朝の暗殺で、豊臣秀吉の子孫は大阪夏の陣で途絶えたと学校で習うが、それぞれ1人の姫が鎌倉で生き延びたことはあまり知られていない。源頼家の娘竹御所と、豊臣秀頼の娘天秀尼である。
竹御所は北条政子に守られ、政子亡き後はその後継者となる。将軍藤原頼経に嫁ぐが、難産の末男子を死産し自分も命を落とす。天秀尼は徳川家康の孫千姫に守られ、7歳で東慶寺に入る。その後20世住持として「縁切り寺東慶寺」の力を世に示すが、やはり30代で亡くなってしまう。運命の家に生まれ、運命に翻弄されながらも自分の置かれた場所で精一杯生きた姫たちだと思う。
私は湘南で育ち日本史が大好きな学生であったが、鎌倉の魅力を理解し始めたのは50歳を過ぎてからである。季節の花やお店ももちろん魅力的だが、私にとって鎌倉歩きは昔の人に心を馳せるひとときだ。ひとりで墓所を訪ね手を合わせる。寺社の季節の花々も、静かに眠る古の人々のために咲いているように感じる。樹齢何百年という樹を見上げ、その樹が見てきたであろう景色を思う。
昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響もあって、小町通りや長谷駅界隈は平日でもいつも混雑しているが、人混みを避け、ひとりで寺社を訪ねてみるのもよいものだ。竹御所は妙本寺に、天秀尼は東慶寺に眠っている。 佐久間紀子