令和はシュウマイの時代!その中心は横浜!と断言するシュウマイ研究家が、横浜から「シュウマイ愛」を叫び(語り)ます。あなたの中で閉ざされた「シュウマイ愛」の扉が開くかも?
7月の神奈川大学シュウマイ(シウマイ)講座はおかげさまで昨年以上の参加者数を達成。参加頂いた皆様、ありがとうございました。私自身も崎陽軒の創業からの歴史をさらに細かく具体的に振り返ることができ、大変勉強になりました。
しかし、ホッとしたのも束の間。崎陽軒より昔の「シュウマイ第一世代」について勉強し直す状況になっています。
きっかけは、8月21日に発売された『あんかけ焼きそばの謎』(早川書房)。著者の焼きそば研究家・塩崎省吾さんは、町中華を中心に共同研究(と言う名目の食べ歩き)をする仲で「あんかけ焼きそばとシュウマイは、日本の中華料理創世記=明治大正期を支えた重要料理」という意見で一致していました。
拙書『シュウマイの本』では、明治の開国期に横浜の中国人街の形成にあわせて中国人向けの飲食店ができ、そこで「焼売」が提供されはじめた可能性が高く、それをシュウマイ第一世代と定義。その時代にあんかけ焼きそば(表記は「炒麺」等)も存在していた可能性が高く、『あんかけ焼きそばの謎』ではそのことを厳密且つ膨大な資料で証明しています。
私にとってもセカンドオピニオン?的な勉強になった訳ですが…。同書には東京・神保町や長崎にもシュウマイ第一世代が存在した可能性を示す記述があり、そうなると私としては再調査をしないわけにはいきません。「シュウマイ研究に終わりなし」と実感する残暑厳しい今日この頃です。