医師として活躍する中で34歳の時にJAXAの宇宙飛行士の夢を叶え、国際宇宙ステーション(ISS)に2度の長期滞在をした古川聡(ふるかわさとし)さん(62)。実は横浜出身のハマっ子で、球状の地球を間近で見た、日本でも数少ない宇宙飛行士です。
現在は東京都の杏林大学医学部で特任教授としてこれまでの経験を活かし、学生の教育や次世代の人材育成に取り組んでいます。
- こどもタウンニュース・中学生タウンニュース横浜版の紙面と連動した特別インタビューです。宇宙での生活の話から地元横浜でのエピソード、宇宙飛行士ならではの体験などについて、小・中学生に向けて話してくれました。(取材日:2026年9月29日)
ハマっ子時代の思い出

子どもの頃は野球少年。アポロ11号の月面着陸で宇宙への興味が湧いたそうです。
古川さんは大学を卒業されるまで横浜にお住まいだったとのことですが、小学校時代の話をお聞かせください。
古川聡さん(以下古川): 中区本牧出身で、間門小学校に通っていました。間門小は「水族館」がある全国でも珍しい学校で、私がいた頃からありました。昔は運動場の端がすぐ海岸で「海岸運動場」と呼ばれていましたが、私が小学校に入る前(昭和30年代から40年代前半)に埋め立てられ、その時に地域や卒業生、保護者から「子どもたちに海を残したい」「海とふれあえる場所を残したい」という声が上がったことから水族館ができたようです。
当時の間門小には運動場が3つあって、砂場に跳び箱を出してもらったり、一段高い場所にある運動場の迷路で鬼ごっこをしたり…とにかく活発な子でしたね(笑)。5・6年の時の担任が体育の先生だったこともあり、器械体操などを教わってより体を動かすことが好きになりました。
現在の間門小海水水族館「まかどシーマリンパーク」
また、中学年からは図書室でSF小説を借りて読むことも。小3・4年の時の担任が算数の先生で、問題を解く時に方程式を使わず「何かの量を『1』とする」という解き方を教わりました。何を1と考えるかで視点が変わり、見えていなかったものが見えてくる。これが面白くて、算数も好きになりました。
ほかにはどんな思い出がありますか?
古川: 放課後は、空き地に集まって「三角ベース」などの草野球。友達に誘われて、地域の少年野球にも入っていました。あとは、家の近くの公園や山でもよく遊びました。当時その辺りには米軍の住宅があり、広々とした芝生をフェンス越しに見て「野球ができる場所がいっぱいあっていいな」と思っていました。
ハロウィーンの時だけは日本人の子どもも入ることができて、飾り付けをしてある家に行って「トリック・オア・トリート!」と言うと、お菓子をもらえたんです。そのお菓子の味やにおいが日本のものと全然違って、「これがアメリカなんだ」と衝撃を受けましたね。「いつも食べているお菓子の方がおいしいな」と思いましたが(笑)、異文化を感じた貴重な体験でした。
異文化を感じたということですが、初めて外国を意識したのはいつですか。
古川: 本牧の「二葉幼稚園」(現在は閉園)に通っていた時のクラスで、アメリカ人のハーフの男の子と友だちになりました。英語は話せなかったと思うから、日本語でコミュニケーションを取って仲良くなったんでしょうね。お互いの家にもよく遊びに行っていました。こうした本牧ならではの経験もあり、小さい頃から海外の人や文化を身近なものとして受け入れていました。
ISS内でクルーとともにクリスマスを祝う古川さん=提供JAXA/NASA
中学・高校は栄光学園(鎌倉市)に進学。部活は何をされていましたか?
古川: 中高ともに野球部です。私はキャッチャーでした。中1の1年間はボールを握らせてもらえず、ダッシュや腕立て、腹筋などの基礎体力づくりばかりで当時はすごく不満だったのですが、他校と試合をした時に体力負けせずいい試合ができたので、「先輩の言う通りだった」と納得したのを覚えています。
高校は軟式野球部で、キャプテンも務めました。受験のため高2の秋で引退する人が多い中、私を含む同級生4人が高3の春まで残り、県大会で準優勝。そこで引退してから医学部受験に向けて必死に勉強しました。崖っぷちでしたね(笑)。
小さい頃からの夢、再燃した宇宙への思い

宇宙飛行士を目指したきっかけは?
古川: 5歳の頃に見たアポロ11号の月面着陸がきっかけで、宇宙に興味を持ちました。小さい頃の夢は、『ウルトラセブン』。本気でなりたいと思っていました(笑)。ずっと宇宙への憧れがありましたが、私が子どもの頃はまだ、日本人で宇宙飛行士になった人がいなかったので、現実的ではありませんでした。
高2までは宇宙工学や天文学を学びたいと思う中、医師である叔父の「患者さんが良くなって退院していく時が一番うれしい」という言葉に影響を受けて医学部へ進みました。 しかし、医師になって9年目、病院勤務中にテレビで「日本人宇宙飛行士募集」のニュースを見て、子どもの頃の夢が再燃しました。
周りの反応はどうでしたか?
古川: 最初は「医師としてのこれまでのキャリアがもったいない」と言われることもありましたが、私としてはそれまで身につけてきた知識や技術はきっと別の形で生きると思っていて。最終的にはみんなに応援してもらえました。34歳で宇宙飛行士の候補生に選ばれ、36歳で認定されました。
待機期間中は、コロンビア号の事故(2003年)などで先が見えなくなった時期もありました。そんな時、先輩から「訓練のプロセスそのものを楽しめばいいんだよ」と言われて気持ちが楽になりました。また、「待つことも仕事だよ」とも教わりました。日本の搭乗枠が回ってくるのを待つしかない状況で、この言葉は的確でした。
水中サバイバル訓練の様子=提供 JAXA/NASA/Robert Markowitz
宇宙生活は驚きの連続

宇宙で作業を行う古川さん=提供JAXA/NASA
訓練を始めてから12年、念願の宇宙に初めて行った時のお気持ちは?
古川: 野球で例えると、「ずっとベンチ裏で素振りをしてきて、いよいよ試合に出るぞ」という感覚。宇宙から見た地球は圧倒的な存在感でした。まるで一つの生き物のようで、人類もその一部なのだと感じました。
宇宙での生活はいかがでしたか?
古川: 最初は「宇宙酔い」しましたが、異なる文化圏に住むようなもので、慣れれば快適です。宇宙食は200種類以上あり、特に日本の「うなぎ」と「サバ缶」味が好きでした。新鮮な食べものが恋しくなり、2〜3ヶ月に1度、地球から届く新鮮なくだものや野菜がとても楽しみでした。
無重力空間に浮く野菜やくだもの=提供JAXA/NASA
睡眠はどうされていましたか?
古川: 電話ボックスくらいの個室の中で、寝袋に入って寝ます。最初は壁に体をしっかり固定して寝たのですが拘束されているようで寝にくく、固定を外すと今度は頭や足が壁にぶつかってしまう…。最終的には、1mくらいのひもで寝袋を手すりにつないで寝ました。ふわふわ浮きながら、壁には当たらないので、仲間にすすめたところ大好評でした。
ISS内で寝袋に入って寝る古川さん=提供JAXA/NASA
宇宙で驚いたことはありますか?
古川: 「物がなくなること」ですね。マジックテープで留めていても、少しぶつかると飛んでいってしまいます。軽いものは空気の流れで換気口に集まるので土曜日の掃除の時に見つかりますが、ハサミなどは機材の裏に入り込んでしまいます。探しても見つからず、別の作業をしている時に偶然見つかることが多いです。
また、時間の感覚も違います。ISSは90分で地球を1周するため、1日に日の出と日の入りが16回もあります。消灯時間は国際標準時の21時半ですが、消灯時間後に窓から日の出が見えたりする不思議な世界です。
提供JAXA/NASA
提供JAXA/NASA
帰還後の体の変化は大変でしたか?
古川: 宇宙でも毎日トレーニングをして筋力を保っていましたが、地球に帰ってくると「重力酔い」をしました。下を向く動きがダメで、最初の2日間は自分で靴下も履けませんでした。頭がボウリングの球のように重く感じて首や腰が痛くなり、椅子に座るとお尻が痛い。45日間のリハビリプログラムで元の状態に戻しました。
医師としての経験は宇宙で役立ちましたか?
古川: 採血や超音波検査は経験があったので、すぐできました。また、医療担当クルーとして心肺蘇生などの緊急処置の訓練も受けましたが、幸い実践することはありませんでした。なにより「医師が乗っている」ということで、仲間が安心してくれたのはうれしかったです。
挑戦を続けて、失敗からも学ぶ

2026年3月にJAXAを退職。杏林大学の特任教授に転身されました。
古川: 自分の経験を次世代や社会に還元したいという思いがありました。学生たちには「無重力の宇宙では、天井が床にも壁にもなる。常識だと思っていた前提を疑うことも大切だ」と伝えています。
宇宙飛行士を目指す子どもたちにアドバイスをお願いします。
古川: 1つ目は、「勉強の仕方を身につける」こと。理解して導けることと暗記するしかないことを区別する。ノートの取り方や勉強の計画の立て方、暗記は何度も書くのがいいのか見て声に出した方が覚えやすいのかなど、人によって効率的なやり方は異なるので、自分にあった勉強方法をぜひいまのうちから見つけてください。一生学び続けるために大切です。
2つ目は、スポーツでも文化活動でもいいので「チーム活動」を経験すること。
3つ目は、「英語」です。AIが進歩しても、仕事で自分の考えをのべるためには、文法などの基礎が重要になります。
はまぎんこども宇宙科学館には、古川さんと一緒に宇宙に行った横浜の風景がプリントされた旗(はた)が展示されています
ありがとうございます。最後にハマっ子の子どもたちにメッセージをお願いします。
古川:勉強だけでなく、音楽や山登り、ボランティア活動など様々なものに興味を持ち、ぜひ挑戦してほしいです。その中から自分が得意なことや好きなことが分かってくるはずです。すぐにうまくいくことは少ないですが、その経験から学び、何でも挑戦できれば、自分の成長にもつながります。
私も諦めずに挑戦したからこそ、宇宙飛行士という夢を叶えることができました。みなさんも挑戦から可能性を見出して、将来に活かしてほしいと思います。

ISSから古川さんが撮影した横浜周辺の写真=提供JAXA/NASA
【プロフィール】
中区本牧生まれ。間門小、栄光学園中・高出身。東京大学理科三類入学、医学部医学科卒業後は消化器外科の医師として勤務。36歳で宇宙飛行士となり、国際宇宙ステーション(ISS)に2001年と23年の2度滞在(総宇宙滞在時間は366日8時間34分)。2026年3月にJAXAを退職し、現在は杏林大学医学部の特任教授として、これまでの経験を次世代のために役立てている。
横浜での思い出の場所は、 昔ながらの日本の風景がある三溪園や、「妻とのデートコースだった」という山下公園。趣味はジムでのトレーニングと有酸素運動。




















