タウンニュース記者が探る、シンボルの由来「三浦市・城ヶ島エリアの巻」

シェアする
タウンニュース記者が探る、シンボルの由来「三浦市・城ヶ島エリアの巻」

 三崎港の発展には城ヶ島への架橋が必要とされ、時の農相・河野一郎氏(デジタル相・太郎氏の祖父)と内山岩太郎県知事の尽力で1960年4月に大橋が完成した。

川崎喜太郎市長の銅像【1】

橋の左手前には、当時の川崎喜太郎市長の銅像【1】があり、銘板には「市長在職中幾多の功績を残したるも城ヶ島大橋の架橋も亦(また)氏の努力によるものなるが故にこの地を卜(ぼく)し建立す」と刻まれた。

『島の娘』をモチーフにした銅像【2】白秋詩碑【3】

 『むすめ むすめ 城ヶ島の娘 おまへ裸で海のそこ〜』。城ヶ島ゆかりの詩人・北原白秋による歌『島の娘』をモチーフにした銅像【2】があるのは、橋を渡った左端。「城ヶ島に新たなシンボルを」と城ヶ島観光協会が三浦市の協力を得て、89年5月に建てた。台座に腰かけた娘のそばにウミウがとまる。奈良教育大学教授だった彫刻家・小川清彦氏が制作。横須賀高校の美術部出身で、当時の久野隆作市長の2年先輩。先祖は三崎の向ヶ崎だった。ちなみに橋の下の白秋詩碑【3】は49年7月に除幕、大橋完成によって約50m東の磯から現在地に移転された。

「海への祈り」【4】

 海を指差す男児を肩車する父親、その足にしがみつく女児の銅像「海への祈り」【4】は92年5月、城ヶ島灯台公園に完成した。海に携わる人への顕彰と海の犠牲になった人への慰霊を込め、漁業関係者らでつくる三崎港海の顕彰碑建立実行委員会が、3千万円を超える寄付を集めて建立した。

恋人のモニュメント【5】

 みはらし広場の一角にある恋人のモニュメント【5】は、18年3月にお目見え。(一社)日本ロマンチスト協会(長崎県雲仙市)と日本財団(東京都港区)が観光資源として地域活性化に役立ててもらおうと、全国に点在する灯台を審査。城ヶ島灯台と安房崎灯台が「ロマンスの聖地」に認定された記念で作られた。

ウミウの銅像【6】

 県立城ケ島公園の駐車場入口付近にあるウミウの銅像【6】は2007年4月頃、案内看板として職員が手作りした。皆、飛来する海を一斉に向く。

住所

神奈川県三浦市城ヶ島

公開日:2024-05-03

関連タグ