【家族インタビュー】3世代の思い出~横浜編~

【家族インタビュー】3世代の思い出~横浜編~

年に一度、家族、勢揃いで地域行事へ

横浜市内で、家族3世代の「思い出」についてみなさんの声を集めました。

【中区三之谷・Iさん88歳】
9歳で両親を亡くし色々と苦労した。だから子どもたちには、しっかり勉強できる環境を整えたいと思い頑張った。「ともに豊かに幸せに」を心に今まで歩んできた。

【西区宮ヶ谷・Kさん70歳】
共働きだった私たちの息子は夕方寂しくなると同居する祖母の所へ行っておやつをおねだり。それがおばあちゃんと交流する“甘い秘密の時間”だったようです。

【神奈川区・Mさん60代】
9月は祖父である私の誕生日。孫からのプレゼントは写真付きメッセージカードでした。「じいじまた船に乗せてね」「いつまでも元気で素敵なじいじでいてね」と言葉が書いてあり、毎年もらっています。何か買ってきたものを貰うよりも、気持ちがこもっていてとても嬉しい贈り物です。

【金沢区富岡在住・Fさん30代】
みんなの誕生日には必ず食事をし、プレゼント交換をしています。甥っ子姪っ子も合わせると年10回以上に。近くに住むからこそできることだと思います。

【磯子区岡村在住・Sさん50代】
おばあちゃんの作るホットケーキが大好きだった息子たち。私が作っても「ばあばのホットケーキがいい」とよく言われました。正月には「孫同士を会わせたい」といって、親戚家族が大集合するのが恒例に。10人以上の食事を作るのは大変だったと思います。

【鶴見区獅子ヶ谷在住Aさん・56歳】
息子が大学生の時に畑に興味を持ち「農作業をやりたい」と言ったので、家の裏手にあったゴルフ練習場を夫と私と息子の3人で畑にしました。しかしサラリーマンになった息子の畑への熱意はすぐに失せ、今では父が一人でブルーベリーを育てています。

【戸塚区内在住・Sさん60代】
戸塚区俣野町にあった「横浜ドリームランド」は子どもを連れてよく訪れました。大きな観覧車や乗り物が充実していたほか、プールもあったので夏休みになると親子がたくさんいました。現在はドリームランド跡地にできた俣野公園で、子ども向けの遊びの広場を企画運営しています。工作や水遊びなど、孫とはしゃぐ祖父母の姿も見られます。これからも家族が楽しめるひと時が作れるとうれしいです。

【旭区二俣川在勤・Hさん】
二俣川の商業施設「グリーングリーン」。子どもの頃、母親と一緒によく買い物に行った場所で、お菓子やおもちゃを買ってもらえることを期待する〝非日常〟がありました。跡地に誕生した「ジョイナステラス二俣川」は、現在の自分の職場になりました。自分のように、子どもたちの思い出がたくさん生まれる場所になれば嬉しいです。

【港南区在住・Tさん50代】
子どもが小さい頃、職場の先輩が栄区に住んでおり、家族ぐるみでよくお世話になりました。飯島町の公園でキャッチボールや砂遊びを楽しみましたが、今では子どももすっかり大きくなり、先輩と会う機会もなくなってしまいましたが当時のことは懐かしく思います。

【瀬谷区北新在住・Yさん70歳子どもの成長記録にと写真を撮るようにになり、今では埼玉に暮らす孫の写真撮影に夢中。特に1歳の孫は、日々の成長が早く、撮影が楽しいです。

【泉区和泉町・Iさん60代】
かつて、総合病院で娘が働いていて、最初の頃はよく送り迎えをしたものです。そんな娘も今では結婚し、一人前の看護師として働いています。

【青葉区市ケ尾町在住・Kさん80代
近くに住む娘夫婦が共働きだったため、4人の孫たちを区内の保育園に送り迎えしていた日々。遊んだりふざけたりする毎日でしたが、そんな孫たちも成長し、1番上の子は社会人に。嬉しくもあり、少し寂しくもある今日この頃です。

【港北区綱島西在住・Sさん50代
3代続けて生まれも育ちも綱島っ子。学校が終わると、いつも祖父が営む和菓子店へ帰っていたのをよく覚えています。そのお店が自分の居場所。おじいちゃん子だった私は、とにかく祖父の大切にしているこのお店を守りたいと店を継ぎ、30年間守り続けました。

【都筑区荏田南在住・Kさん90代】
貧しかった幼少の頃。母は農家をしながら9人の子どもを養った。戦争中で食べ物が少ないなか、私たちの主食は米ではなく畑で育てたサツマイモだった。あの頃は腹が減っていたから何を食べてもうまかった。私のおふくろの味です。

【緑区三保町在住・Mさん】
東日本大震災を受けて7年前に仙台から緑区に引っ越してきた我が家。震災の心の傷や新生活の不安もありましたが、ズーラシアに通うことで家族に笑顔が戻ってきたと記憶しています。自転車に乗って家族で区内を散策したのもいい思い出です。四季の森公園や旧奥津邸周辺など緑豊かな自然に触れられることは貴重ですね。

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