「横浜開拓の守護神」とも言われる「お三の宮日枝神社」=横浜市南区山王町=の大神輿が大規模な復元修繕を行うことになりました。「横浜随一」の大神輿が次に見られるのは神社創建350年にあたる2023年です。日枝神社や大神輿について調べてみました。
お三の宮の歴史と難工事
日枝神社は、古くは山王社・山王大権現・山王宮と称せられましたが、今では「お三の宮」「お三さま」と市民に広く親しまれ、崇め称えられています。これは、山王宮→山の宮→おさんの宮と転訛したこと、さらに「お三の人柱伝説」を通して「お三の宮」と書かれ、呼ばれるようになりました。
現在の横浜市の中心部である中区と南区にまたがる大岡川と中村川、それからJR京浜東北・根岸線からお三の宮所在地(関外地区)までの広い範囲は、釣鐘の形をした入海でした。今から約350年前、江戸幕府と諸大名の御用達として広く石材木材商を営んでいた吉田勘兵衛良信という商人が、この入海を干拓し、新田を築きました。これが「吉田新田」と呼ばれています。
この大工事は、明暦2年7月17日に鍬入れをしましたが、翌年の5月10日から13日にわたって集中豪雨があり、失敗に終わります。しかし、万治2年2月11日に再度試みて、寛文7年に11年余りの歳月と8038両の巨費によって、市内最古で最大規模(約35万坪)を誇る新田開発を成し遂げることができたのです。
そこで勘兵衛は、新田の要処である大岡川と中村川の分岐点に、寛文13年(1673)9月、新田の鎮守として、新田住民の安寧幸福や五穀豊穣を祈り、江戸の山王社(今の旧官幣大社日枝神社)から勧請し、山王社と併せて稲荷社を創建したのでした。これにより「横浜開拓の守護神」として、氏子をはじめ、横浜の人々に親しまれています。
横浜随一の大神輿
その神社において、大神輿は昭和9年に作られました。豪華な装飾が施され、高さが約5mもあり「横浜随一の大きさ」とも言われています。同神社の例大祭ではかつて、3日間にわたって飾り立てた牛が引いていましたが、現在は小型トラクターがけん引して巡行しています。
2021年9月の例大祭でも南区や中区の氏子地区を巡行する予定でしたが、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、巡行は取りやめ、神社裏手の神輿庫で公開されました。
この大神輿、随所に破損などがあり、1年をかけて大規模な復元修繕が行われることが決まっています。そのため、例大祭ではしばしのお別れとなる大神輿を見ようと、多くの人が参拝に訪れました。
修繕の奉賛金募る
神社は創建350年の奉祝記念事業として、大神輿の修繕と神輿庫の耐火・耐震工事を行います。ほかにも、境内の整備や社務所の屋根葺き替えも予定し、総事業費は7千万円で、広く奉賛金を募っています。
同神社の角井瑞宮司は「横浜市民の財産ともいえる大神輿を永代に残すための整備で、賛同していただければ」と呼び掛けています。詳しくは神社へお問い合わせください。