神奈川県内初の「認定こども園のパイオニア」として知られる川崎市宮前区の健爽学園ゆりかご幼稚園は、保育園と幼稚園との機構をもち、就労にある女性の子育て支援が可能です。幼児教育のプロフェッショナルとして、荒井利夫園長に話を聞きました。
サービス精神あふれる性格
荒井園長は1943年、4人きょうだいの次男として川崎区小田に生を受けました。相撲が強く力士になることを夢見ていた少年時代。父・健蔵さんが市議会議員だったため、自宅には関係者が出入りしていたそうです。他人が喜ぶことが大好きで、「相撲実況のもの真似や落語、浪曲などを披露して大人たちを驚かせていた」と振り返ります。好奇心が旺盛で小学校4年のときには、納豆売りのアルバイトを経験。そこで得た資金を使い、「火の用心」に参加する友人への景品にして活動を拡大させるなど、早くから才覚を発揮していたそうです。
傍らにはいつも音楽
合唱団で歌が得意だった少年は中学生になり、戦時中は見たこともなかったピアノと出合いました。「先生が弾く音色に心を奪われ、自然にピアノの目の前まで歩み寄っていた。先生の厚意で『サンタルチア』を歌わせてもらったのは良い思い出」と、今も当時の様子を鮮明に記憶しています。ピアノだけでなくハーモニカやギターなども独学でマスター。「東京芸大に進みたい」と言うほど、音楽が生活の一部となっていたそうです。
一方で、当時から正義感が強く理不尽なことを指摘せずにはいられない性格。男子校内では同級生とケンカとなることもあったといいます。「得意の相撲で勝って調子に乗り、ボクシング選手には打ちのめされた。負けることで得られることもある」としみじみ語ります。
心理学博士が園長に
父が1956年に川崎区内にゆりかご幼稚園を設立。園名は北原白秋の「ゆりかごの歌」が由来です。園歌『ゆりかご』の作詞は父、作曲は自身が担当したそうです。川崎園と宮前園は姉妹園でいずれも園歌は同一。「父が園児たちのために自宅で大きな絵を描いている姿は今でも目に焼き付いている」。こうした思いをくみ、日本大学に進学し心理学を専攻しました。「入学したころは心理学はほとんど理解されてなく、催眠術ができるのですかと言われたこともある」と当時の様子を話してくれました。
研究に没頭していた大学院生時代に、磁気性材料の発明で「フェライトの父」と呼ばれた加藤与五郎博士から「早期人材開発」を懇願され、一念発起して菅生にゆりかご幼稚園を設立したそうです。音楽と心理学を融合させた権威として博士課程を修了後に園長に就任しました。園長となってから「心だけではなく体のことも学ぼう」と鍼灸マッサージ師の資格を3年かけて取得したそうです。「24歳で結婚してからずっと、副園長として妻に支えてもらっている」と家族への感謝を口にしています。
1987年には優しい木肌の園舎が完成しました。大きな三角形の屋根で、ウッドな建築でありながら、東海沖大地震に備えて鉄骨構造体になっています。さらに地域の幼児が、等しく資質の高い幼稚園教育が受けられるようにと、2008(平成20)年には川崎市第1号の認定こども園を開設し、2016(平成28)年に幼保連携型認定こども園へと移行しました。
対外活動にも注力
荒井園長は1978年から神奈川県私立幼稚園連合会の理事を3期務めました。また、同年、社会奉仕団体・川崎西ロータリークラブにも入会。1984年には、ロス五輪金メダリストである体操選手・具志堅幸司さんを招いた講演会の運営責任者も務めたそうです。園ではイベント時に保護者から寄付を募り、約10年に一度、団体を通じてネパールに井戸を寄贈するための寄付をしているそうです。「ネパールから園児あてに、『大人になったら井戸を見に来てください』という主旨の手紙と写真ををいただいた」と話し、社会貢献を通じた交流を喜んでいます。
「経験を次世代に」
確かな教育理論から、市内人気園の一つになりました。「職員の結婚式があればみんなで祝う」「卒園生の保護者から園のシンボルマークを模した手づくりパイをもらった」など、アットホームな園運営で知られる。卒園生にはサッカー日本代表の権田修一選手などが名を連ね、息子の健利さんは医師になり「ゆりかごクリニック」を開設。同幼稚園の専任医も担っています。
こうした功績が認められ2014年、神奈川県県民教育功労賞を受賞しました。そして2023年、園児と園長との交流を描いた「ゆきだまのまほう」(原作)を出版。「ボーダーラインを超えるには背中を押してくれる存在が必要」と思いを話します。
地球温暖化が叫ばれる現在、夏になると、ウオータースライダーのあるプールでは園児たちの歓声が響きわたります。満1歳児や2歳児も幼稚園のプールで水遊びをして、ぐっすりお昼寝をする光景が見られます。年長児のお泊り保育(宿泊会)は、山梨県鳴沢村にある「ゆりかご富士山荘」で行われます。また、今年の「冒険王国ツアー」には、在園中にコロナ禍で行けなかった小学2、3年生の卒園児70人が参加しました。
「酸いも甘いも経験した今が一番楽しい。これまでの経験を託せる次世代を育てていきたい」と先を見据えています。
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