直通線の開通でも話題となった相鉄線。旭区内にある希望ケ丘駅の周辺は、戦後から開発が始まりました。現在では商店街と閑静な住宅街が広がり、高校や「ポリテクセンター」もある便利な街となっています。
そんな希望ケ丘に、1968年に建てられた「希望ケ丘センタービル」。建設当初は「希望ケ丘に高層ビルができる」と話題になっていたそうです。1958年に設立された株式会社希望ケ丘センタービルが運営しており、現在代表を務めるのは3代目の柳室敏明さん。
- そんな柳室さんのこれまでの道のりと現在の活動についてインタビューしました!
警察官から転身
中区出身で、生まれも育ちも横浜の「生粋のハマっ子」。幼い頃に父親を亡くして母子家庭で育ち、「母を支えたい」という思いで1974年に警察官になりました。機動隊に所属していたほか、柔道5段、剣道初段、逮捕術でも全国大会へ出場した腕前も持つ、カリスマ警察官でした。
転機が訪れたのは1992年。当時、義理の父親が株式会社希望ケ丘センタービルの代表を務めており、オファーを受けて入社。最初は運営するスーパーの品出しなどをしていたそうですが、2年後に代表から跡継ぎを任されます。
「当時は世間知らずだった。右も左もわからない状態。商工会議所に顔を出したり、衛生管理者の資格を取ったりした」と当時の苦労を振り返ります。苦労の甲斐もあって、収益はそれまでの何倍にもなったといいます。
今では不動産業を主として、希望ケ丘センタービルの運営のほか、横浜市内のほか仙台などに8つのアパート運営などを行っています。仕事で大事にしていることを聞くと「人は騙さないようにしている。嘘をついたら自分に返ってくる」と話します。
横浜旭ライオンズで奉仕
もう一つの顔は「ライオンズクラブの会員」。柳室さんの所属する「横浜旭ライオンズクラブ」は、1968年に創設された、地域で奉仕活動を行う団体。入会したのは2011年頃のこと。知り合いの会員に誘われたのがきっかけでした。
最初は「一体何をすればいいのかわからなかった」状態だったそうですが、次第に「クラブでは皆が平等。それぞれが仕事をしっかりした上で、協力してできることをやるべき」という思いを抱くように。
以後、小中学校での薬物乱用防止教室の講師、献血の呼びかけなどの奉仕活動に積極的に参加しています。「最初はゴルフ仲間を作るつもりで入ったのが、今では奉仕活動で忙しいね」と笑います。
ライオンズクラブには多種多様な業種の人が参加しています。「色んな企業の人たちと関わる機会ができて、自分の世界が広がったと思う」と話します。
入居者募集中
株式会社希望ケ丘センタービルでは、2024年4月から新たなアパートの入居募集を開始。
駅から徒歩8分の閑静な住宅街にある、木造3階建ての物件です。「部屋が埋まってきているので、申し込みはお早めにお願いします」と柳室さんは話します。募集申し込みは下記の問い合わせ先へ!