「火災保険」の補償対象は、火事だけじゃない
火災保険といえば、一戸建てはもちろんマンションなど集合住宅に住んでいても、損害保険の一つとして地震保険等と一緒に加入しているのが一般的ですよね。「火災」と名が付くからには、火事で住宅が損害を受けたときに保険金が支払われるもの・・・そんなふうに思っていませんか? 東京都新宿区を拠点に、川崎市多摩区にも事務所を構える「火災保険コンサルタント」。多摩区事務所の門を叩き、担当の堅山さんに詳しく話を聞いてみました。
保険証券と保険約款、しっかり読もう
堅山さんは言います。「火災保険金は火事でも、もらえます」。保険会社が交付する「約款」。約款の「約」 は「約束」の約。約款には全ての契約者に共通する「保険会社が約束する」ことが書いてあります。火災保険約款に「風、雪、雹(ひょう)によって損傷が起きたとき、保険金を払う」と、書いてあります。「約款は大事な書類ですから、保管しているはずです。約款の文字は小さくて、しかも100ページ以上あるので大変ですが、この機会にぜひ読んでください」。
さらに、契約者ごとに交付する「保険証券」。保険証券にも「風、雪、雹(ひょう)によって損傷が起きたとき、保険金を支払う」と書いてあります。「保険証券は約款よりも大きな字です。約款と併せて、保険証券も読んでください」。
「このコンサルを始める前。火災保険とは火事のときに『しか』もらえないものと思ってました。保険会社の社員から『風などの損傷でももらえる』と聞いても、にわかには信じられませんでした。人に教えるために、強い確証がほしいと思いました。契約している大手保険会社の社長に手紙を出すと、返事がきました。『風などによって、建物が損傷したときは火災保険金を支払います』と。風などによって、建物が損傷した時、火災保険金を請求することは、正当な経済行為だということが分かりました。自信をもって、人に勧めています」
付け加えると、保険会社は建物が損傷した事実に対して、保険金を支払うのだそうです。「建物の損傷を修繕する費用として保険金を出すのではありません」。なるほど、この仕組みは知らない人がほとんどではないでしょうか。
火災?保険
火災保険の歴史をひも解いてみると・・・約150年前、ヨーロッパ視察した福沢諭吉が日本へ持ち帰ったのだそうです。当初は火事だけを補償の対象にしていたのが、台風や強風で建物が傷んだ場合も、保険金が支払われるように変わったのだとか。それで保険料が上がったのです。「そのときに、商品名を『火災&風災保険』などにすれば分かりやすかったのでしょうが、『火災保険』のまま変わりませんでした」と堅山さん。「99%の人が『火災保険は火事のときしかもらえないもの』と思っているはず」。しかし実際は、風や雪など自然損害を補償してもらうために、加入者は火災保険料を払っているのです。
「強風などによって建物が損傷を受けたとき、火災保険金を請求できます。これを実行している人は100人に1人くらいで、ほとんどの人はこれを実行していないのです」と堅山さん。この仕組みを説明しても、たいていは「火事でもないのに、火災保険金をもらうなんて怪しい!」と思われることが多いそうです。「怪しいことではありません。保険会社が約款で約束をしています」
多くの人が受け取っているという火災保険金は、1件平均でおよそ80万円(約50万~300万)だそう。江戸時代の学者・貝原益軒は「知って行わざるは、知らざるに同じ」(知っていてもやらないことは、知らないのと同じ)と教えています。
では、どのような建物が補償対象になるのでしょうか。それは保険証券にも書いてあります。
- 建築後、8年以上の持ち家(借家は対象外)
- 火災保険または共済に加入している
- 個人住宅、マンション、アパート、オフィスビル…どんな建物でもOK
保険金が受け取れるのか、実際に調査を依頼した場合の要点を聞いてみました。
1.建物調査士(プロのコンサルタント)が建物の損害をチェック
2.損害調査書、リフォーム見積書など保険請求書に必要な書類をプロコンが無料作成
3.調査の結果、保険金の対象外だった場合はプロコンの報酬なし。保険金が支払われる場合のみ一定の成功報酬が発生
4.建物調査→保険金支払いまでは最大で約3カ月
5.保険金は税務申告不要
「このとおり、ノーリスク・ハイリターンなのです」と堅山さん。まずは一度、火災保険コンサルタントの多摩区事務所に問い合わせて、詳しい話を聞いてみるのがよさそうです。
古人いわく「先んずれば、人を制す」・・・
先んずるためには情報が大切
堅山さんは、情報の大切さを戦国時代の有名な戦に例えて教えてくれました。「負ければ自分だけでなく、妻や子どもの命も失う戦国時代。武将は何よりも情報を大事にしました」。織田信長が今川義元を討ち破った、あの「桶狭間の戦い」。信長が一番の功労者として讃えたのは、義元の首をとった家来ではなく、「義元が桶狭間で休息している」という情報を入手した家来だったことは有名な話です。「情報が大事なのは、いつの時代でも同じなのです」