殺傷石といえば、能の演目の1つ。平安時代鳥羽天皇に憑りついた九尾の狐の化身である玉藻前が、陰陽師によって暴かれ那須野に逃げるも、三浦大介義明と上総介広常によって討ち取られました。しかし狐は石となり、その石にふれると人や動物はみな死んでしまうため、殺傷石と呼ばれるようになりました。
室町時代に入り、海蔵寺開山の源翁禅師は、読経しながら持っていた鉄の杖で一撃したところ、法力で殺生石が割れ、災いも収まったという伝説。禅師は、割れた石で地蔵菩薩を刻み、鎌倉に小さな御堂を建てて安置しました。
時は流れ江戸時代。この地蔵菩薩を信仰していた甲良豊後守宗弘が、夢でのお告げにより現在の京都の真如堂に移しました。そのため真如堂の地蔵菩薩は鎌倉地蔵という名称で、現在も安置されています。気になるのが那須野にある残りの石。殺傷石として2014年に国の名勝として登録され、観光名所になっていましたが、2022年に突如割れてしまった。地元の人は、また狐が悪さをするのではないかと心配し、慰霊祭や平和祈願祭が行われたそうです。
余談ですが京都の真如堂は、材木座の光明寺で行なわれている十夜法要の発祥の地です。室町時代、お十夜は平(伊勢)貞国が世の儚さを感じ、仏道に生きようと京都の真如堂にこもり、十日十夜の念仏行を行ったことがはじまりとされています。そして平貞国の娘が産んだ子が、あの有名な北条早雲だったのです。