横浜北部エリアに生まれ育ち20数年ー。出身高校が町田駅に近かったこともあって、学校帰りや休日に、駅周辺で買い物や食事をしていました。駅周辺はデパートや百貨店などの商業施設に囲まれ、すこし回れば欲しいものがなんでも揃う町田。ただ一方、駅から離れた地域のことや町田の名所など、なにひとつ知らずに過ごしてきました。そんな折、「観光名所ガイドツアー」なるものがあると聞きつけ、参加してきました。
町田市観光コンベンション協会企画の「町田見どころバスツアー」
ツアーは2018年6月10日(日)に行われました。協会設立10周年を記念して市内の見どころを詰め込んだ特別企画。大型バスを貸し切り、午前9時に原町田大通りを出発のスケジュールです。
新たな街の魅力が発見できる充実した内容とあって、当日の参加者は43人。定員40人に対しなんと120人以上の応募があったとか。大人気企画だったんですね。50代60代の方が多かった印象でしたが、なかには親子での参加も。それでは、参りましょう!
緑につつまれる「高蔵寺」
真言宗豊山派、貞治2(1363)年開山の高蔵寺(こうぞうじ)。実は町田は神社仏閣だけでも100以上あり、観光の魅力がある街なんですね。ここは足利家代々の祈願寺として建立されたものといわれ、慶応3年10月に御朱印を奉還するまでは、御朱印11石5斗の寺格だったそう。650年あまりの歴史があります。
昭和10年、ここに、明治~昭和に活躍した歌人北原白秋夫妻が訪れ「高蔵寺しづかやと散葉眺めいて梢の柿のつやつやしいろ」という歌を詠んだとのこと。たしかに周りは静かで、境内に入ると木々がたくさん生い茂っており、普通のお寺とはすこし趣が異なるように思われました。
高蔵寺をあとにする時、ツアーに参加していた高蔵寺周辺に住む女性とお話ししました。「このツアーは地域の歴史をほんとうに細かく説明してくださるのでためになる。住んでいるところでも知らないことがたくさんある。おばのお葬式も高蔵寺でやった」とのこと。住んでいても知らないこと、既知だったはずのものが実は未知のものだったと知ると、新鮮で驚かされますよね。
荘厳な雰囲気の「妙福寺」
お次は妙福寺です。明徳2(1391)年創建。日蓮宗池上本門寺、鎌倉妙本寺の両山。本堂(市有形文化財)には如来坐像(室町末期)、日蓮上人坐像(江戸初期)を安置しています。
祖師堂(東京都有形文化財)は、当初の金箔が残る重厚な建造物で、祖師像を中心に右に日像菩薩、左に日朗菩薩が祀られています。
市有形文化財である2階建の鐘楼門は、江戸中期延享3(1746)年建立。敷地内は広く、建物は荘厳な雰囲気がありました。
白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅「武相荘」
戦後の新憲法制定に深く関わり、東北電力会長としても活躍した白洲次郎と、美術評論家・随筆家として読売文学賞2回受賞、町田市名誉市民第一号の白洲正子夫妻の旧邸宅「武相荘」。先日放送されたテレビ東京『出没!アド街ック天国』でも町田の文化を象徴するスポットとして取り上げられました。
白洲次郎・正子夫妻は戦中、食糧難を心配して昭和17(1942)年、能ヶ谷の農家を買い取り移住しました。武蔵と相模の国境にあり、ひねりを加えたかった次郎が「無愛想」をかけ、命名しました。
寄せ棟造りで東側妻面兜造りの重厚な茅葺屋根の主屋と、カキ、シラカシなどを配した広い庭の佇まいは、多摩地域の養蚕農家の面影を今に伝えている貴重な文化遺産。実際に入ってみると、木造の温かい雰囲気が落ち着きます。
新選組の資料が豊富な「小島資料館」
幕末に小野路村外34か村組合村の寄場名主を務めた小島鹿之助は漢学を修め、新選組の近藤勇や自由民権家の石阪昌孝と深い関係がありました。近藤勇は天然理心流の師範として、剣術指南に36回も小島家に通っていたそうです。
小島資料館では、近藤勇が稽古の際に着用したどくろの稽古着などをはじめ、新選組時代の書簡も数多く保存。また、小島家4代に渡って書き継いだ「小島日記」は天保7(1836)年から大正10(1921)年までの86年分あり、小島日記研究会によって解読、小島資料館から随時出版されています。館内の資料は膨大で、室内の雰囲気は時代を感じさせるものでした。
郷土料理のうどんが美味しい「小野路宿里山交流館」
小野路宿(おのじじゅく)里山交流館は、2013年9月にオープン。江戸時代に宿場としてにぎわった小野路宿の旅籠(旧角屋)を改修して観光・交流拠点として整備されました。
現在は町田市から管理運営を任されたNPO法人小野路街づくりの会が管理運営を行っています。小野路の歴史、文化と触れ合う場、交流の場として活用されてきています。
写真左に見えるのが、外壁に伝統的左官工法の一つである「洗い出し」が用いられた「味噌蔵」(昭和4年7月)。右には展示ギャラリーとして利用される「土蔵」(同年同月)があります。
名物「小野路うどん」をいただく
さて、ここでお昼ご飯の時間になりました。自然豊かなこの土地でいったいなにが食べられるのか。非常に楽しみです。
お昼ご飯は郷土料理の「小野路うどん」でした!地元で作られた小麦粉を使い、つるっと食べられ、さっぱりとした味わい。小鉢の野菜なども小野路産の農産物が使われています。平日はここで「うどん作り教室」を開催しているとのこと。申し込みは6人から8人のグループ単位で、2週間以上の余裕をもって予約が必要です。
高台にある「小野神社」
美味しいうどんで心もお腹も満たされたあとはツアー後半戦のはじまり。少し雨脚も強まってきました。
平安時代の学者・小野篁(たかむら)を祭神とする小野神社。小野路の地は古代から鎌倉街道の重要な中継点の一つとして知られていましたが、天禄年間(972年頃)に武蔵国司として赴任した小野孝泰(篁の7代後の子孫)が、この地に祖先の小野篁を祀ったのが始まりとされます。
四季折々の景色を楽しめる「町田薬師池公園 四季彩の杜 薬師池」
「新東京百景」「東京都指定名勝」「日本の歴史公園100選」に選ばれた町田市を代表する公園です。薬師池は野津田薬師堂(後述)のほとりの池の意味であり、福王寺旧園地で江戸時代には福王寺溜井と言われていました。季節ごとの花鳥が楽しめ、散策、写真、絵、ハイクなどで多くの人が訪れています。
町田市指定文化財の仏像をもつ「薬師堂」
薬師池公園内にある野津田薬師堂。室町時代末期に荒廃していた高野山真言宗華厳院(天平年間(729~749年)行基の開祖といわれている)を再興したもの。明治16(1883)年には再建され、普光山福王寺(通称薬師堂)と名付けられました。本尊の薬師如来は行基の作と伝えられています。欅の一本造りで構造や作りなどから平安後期11世紀頃の作品と言われており、木造物として市内最古の仏像。昭和62年に町田市の文化財に指定されました。
この日は薬師堂の天井絵が特別公開され、住職の解説を聞くことができました。
薬師池の鮮やかな花菖蒲田
薬師池ではちょうど「しょうぶ・あじさいまつり」が開かれていて、訪れた6月10日には一面に咲き誇っていました(まつりは7月8日まで)。菖蒲と花菖蒲は分類すると違う種類で、菖蒲はサトイモ科の植物で、5月の節句に屋根を葺いたり、しょうぶ湯として使われます。花菖蒲はアヤメ科の植物で、公園の菖蒲園には花菖蒲が植えられています。
町田駅へ 歩いてわかる町田の魅力
これでツアー終了! 長い一日でした。金井にお住まいの60代男性に感想を伺うと、「鶴川の方は初めて行った。雨なのがすこし残念。『歩かない』がひとつのテーマのバスツアーだったけど、今度は歩いてみてもいい。三輪のあたりとか、特に歩きたい」とおっしゃっていました。たしかに次は、思いっきり歩いてみるのも楽しいかもしれませんね。
普段は駅周辺しか行かない私も、今回のバスツアーで町田は本当に緑も文化遺産も食べ物も豊かな土地だと感じました。すこし足をのばせばすぐに観光名所へ。町田にお住まいの方でも、名前は知っているけど行ったことがなかったり、行ったことがあってもそこがどういう場所なのか詳しく分からなかったりすることがあると思います。今後もこのようなバスツアーを企画予定とのことなので、お楽しみに!
この町田市観光コンベンション協会が主催するガイドツアー。まちだ観光案内人がガイド役となり解説を加えながら一緒に歩くガイドウォークを中心に、大小さまざまなものが年に30本もあるといいます。WEBでも申し込めるほか、ぽっぽ町田1階にある町田ツーリストギャラリーでも受け付けています。