時代の変遷を辿る~明治から令和まで100年の軌跡~久里浜

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久里浜地域文化振興懇話会「商工業の町久里浜」より昭和10年代の三崎街道と商店分布図(平成15年発行)

かつて農漁業の街として栄えた久里浜だが、今では大型商業施設や数多くの店舗が軒を連ね、その様相はがらりと変化している。明治以降の来し方をまとめた資料や商店街関係者の証言を照らし合わせながら、これまでの軌跡を辿ってみたい。

一本道だった「三崎街道」

明治期、久里浜の主要道路は、浦賀と三崎を結ぶ「三崎街道」だけだった。古い地図のページをめくると、昭和初期~10年代には「カワムラ橋本たばこ店」「小車理容店」「吉田八百屋」「小善商店」「ときわ屋呉服店」「浅葉酒店」「長島陶器店」の今でも残る7店舗が明記されている。

昭和12(1937)年、三浦郡久里浜村は日本軍の要望で、横須賀市に合併。海軍施設が次々に設けられ、一本道で繋がっていた三崎街道から海へと向かう道路も建設された。これがのちに、「黒船仲通り」「すずらん通り」という2つの商店街に分かれた分水嶺となった。

戦後、街中が退廃的ムードに包まれる中、当時としては貴重な魚や野菜などを駅前の路地で売る「闇市」ができた。一時賑わいを見せたものの、やがて開店休業の店が続出。しばらくして、日本の高度経済成長に伴い、人の流れも増え、商業活動が活発化。それまで前述した2つの商店街が中核を担っていたが、やがて「はろーど通り」「駅前本通り」「中央通り」「西口栄通り」の商店街がJR・京急2つの駅周辺に誕生した。

アーケード完成

昭和51年のアーケード落成式

モントリオール五輪に日本中の人々がテレビの前に釘づけになった昭和51(1976)年、店先に片屋根が付いているだけだった黒船仲通り商店街に全蓋式アーケードが整備された。その数年後には、象徴的なセール「戸板市」も開始。商店街にとって大きな骨格が築かれた。

その後もフリマや七夕祭り、地元中学生の吹奏楽部による演奏会など、イベント内容の幅を拡大。単なる「店と客」という関係性ではなく、強い絆で結ばれた人々が、ここでしかできない思い出を共有してきた。どこまでも唯我独尊。だからこそ時代を超えて今も多くの人の心を離さないのではないだろうか。

黒船仲通り・すずらん通り商店会特設ページへ

住所

神奈川県横須賀市久里浜

公開日:2021-10-06

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