追浜駅から東京湾側に向かって伸びる道の突き当り手前、工業団地の一角の小高い丘に貝山緑地と呼ばれる公園があります。園内には約1千本の杏の樹が植えられており、3月から4月にかけて桜の花びらによく似た淡いピンク色の花を咲かせます。
静かに眠る戦跡に足を踏み入れる
この市民憩いの場所の地下一帯には、先の大戦で日本海軍が築いた「貝山地下壕」と呼ばれる軍事施設が静かに眠るよう存在しています。ここ数年、戦争遺跡(史跡)を平和教育や観光資源として活用する機運が全国各地で高まっており、その流れを受けて横須賀市も2021年から一般公開に踏み切りました。
今回は民間団体の「猿島公園専門ガイド協会」が実施したガイドツアーに参加しました。
横須賀の北エリア(追浜~夏島・浦郷)は戦前戦中、海軍航空の一大拠点として機能していました。1930(昭和5)年に横須賀海軍航空隊に飛行予科練習部(予科練)が置かれ、1930(昭和7)年に海軍航空廠が開設されています。
これに伴い、戦闘機を格納するための地下壕が周辺にいくつも掘られ、秘密裏に実験や製作も行われていたといいます。中でも貝山地下壕は戦局悪化による本土決戦に備え、1943~44(昭和18~19)年にかけて、中枢機能の移転を目的に築かれた、との説もありますが、用途や構造、誰が作業に従事したかなどその多くは謎に包まれています。日本海軍が終戦直後に証拠隠滅を図ったため、詳しい資料が存在しないことがその理由です。
どれだけの時間と労力が費やされたのか
貝山地下壕はA地区、B地区、C地区に分かれており、総延長は約2000mとも3000mともされています。全体は素掘りで、爆薬を仕掛けて岩を粉砕し、ツルハシやスコップを使った人力で掘り進められました。
現在、ガイドツアーで公開されているのは、B地区のみとなっています。
入口から入ってすぐの通路の幅は5mほど。長い通路を進んでいくと朽ち果てた鉄扉がありました。その先は枝分かれしており、ところどころ大小の部屋があります。大きなものは、会議室として使用されていた可能性があり、軍人勅諭や天皇陛下の御真影がまつられていたと思われる神棚のようなスペースも。
炊事場やカマド、水がめ(水槽)、トイレなど生活の痕跡も見られ、壕での暮らしの一端が垣間見えます。今回は足を踏み入れることができませんでしたが、階段もあり、壕内は複層構造になっているようです。
壕内での暮らしがわかる痕跡を展示
B地区の入口横には、「航海科倉庫」と呼ばれる広いスペースが。ここには、壕内の残留物などを集めて展示しており、燃焼実験用で用いる過酸化水素水の貯蔵と輸送に使用された薬瓶がありました。このほかに海軍を示す錨のマークが入った食器や450㎏もの重量がある旗竿さしも置かれています。
各団体によるガイドツアーがオススメ
横須賀市内には、軍事目的で築かれた地下壕がまだ数多くの遺されているといいますが、その中でも貝山地下壕のスケールは唯一無二でしょう。施設の一般公開は「猿島公園専門ガイド協会」(https://sarushima-guide.jimdofree.com/)のほか、「NPO法人よこすかシティガイド協会」(http://yokosuka.kankoh-guide.com/)、「NPO法人アクションおっぱま」(http://www.action-oppama.org/)が独自のツアーを企画して実施しています。