文庫片手に『城ヶ島の雨』~北原白秋〝詩魂のふるさと〟で功績辿る~

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文庫片手に『城ヶ島の雨』~北原白秋〝詩魂のふるさと〟で功績辿る~

明治・大正・昭和と3つの時代を通じて、文学界をリードした故・北原白秋。

巧みな言葉で発表した数多くの詩や短歌、童謡は、時代を越えて今なお我々の心に染み入る。生涯で30カ所にも及ぶ転居をしたことでも知られ、三崎に身を寄せた時期もある。城ヶ島で3年ぶりに開催されることになった「第45回みさき白秋まつり」を前に、詩集をポケットに忍ばせ、彼が残した偉大な功績を辿ってみたい。

三崎で人生の再スタート

明治18(1885)年、熊本県玉名郡南関町で産声を上げた白秋(本名・隆吉)。その後間もなく、福岡県柳川市に移り住み、酒造業者の跡取り息子として裕福な家庭で育った。中学時代から詩歌の世界にのめり込み、父・長太郎に無断で退学。早稲田大学に入学するため上京すると、文壇の交友を広げ、作品を発表していった。

執筆活動が軌道に乗りつつある中、隣家に住む美貌の既婚女性である松下俊子と不倫関係に。相手は夫と正式に別れていなかったため、2人は姦通罪で起訴された。囚人として未決監に拘置されたものの、後援者の後押しもあり、2週間で出所。ただ、周囲からの冷たい視線にノイローゼ状態に陥った。

見桃寺

不幸はこれだけではない。実家の酒屋が破産。父と母・シケが都内の自宅に転がり込んできた。「家族を養わなければならない」という北原家の長男としての責任が重くのしかかる。人生の再スタートを決意し、大正2(1913)年の春、28歳で俊子と結婚。一家を引き連れ、三崎町向ヶ崎・異人館に転居した。

しかし、父が悪徳商人に騙されて財産を使い果たし、同年10月に妻とともに、三浦七福神『桃林布袋尊』として親しまれる見桃寺(白石町)に住まいを移した。大ヒットとなった『城ヶ島の雨』はこの頃に完成した。

 

昭和16年11月、見桃寺に白秋碑の第一号が建てられた。白秋は除幕式に出席している。

石碑には

寂しさに秋成が書き読みさして 庭に出でたり白菊の花
見桃寺冬さりくればあかあかと 日にけに寂し夕焼けにつつ

と彫られている。

白秋は「晩秋の昼下がり、寺院で上田秋成の雨月物語「菊花の約」を読みふけり、人との交わりの大事さを説く凄惨な物語にそぞろあわれを催し、庭に出たところ白菊の花に寂しさを誘われた」ことを歌にしたという。

城ヶ島

海越しに富士を臨む城ヶ島へ。白秋が生前、歌碑の建立を認めたのは、見桃寺と城ヶ島だけだったことから三崎に強い愛着を持っていたことが分かる。

城ヶ島大橋を渡ってすぐ現れる駐車場に車を停め、少し歩いた先に「白秋碑苑」の案内が目に入った。

道を進むと等間隔に咲くアジサイが出迎えてくれた。奥には「白秋記念館」なる建物があった。撮影禁止だったが、貴重な資料がずらりと並んでいた。

その目と鼻の先に石碑がそびえ立つ。白秋の筆跡が彫られている。昭和24(1949)年7月に建てられた碑だ。

文庫本にある『城ヶ島の雨』のページを捲り、石碑に刻まれた白秋の揮毫と照らし合わせる。芸術座音楽会のために舟唄として誕生した作品で、『利休鼠』とは緑色を帯びた灰色のこと。三崎でうちひしがれた白秋の寂しさが感じ取れる。

「ピーヒョロロ」。鳥が鳴く。空を見上げると、どんより曇っていた。雨の降る前の匂いだ。そのうち「ザァーッ」と降り出した。白秋の涙のように思えた。

三崎小校歌

昭和12(1937)年4月には「清明富士を天に潮ひびく港~」で始まる三崎小学校の校歌も作詞した。作曲は山田耕筰。明治5(1872)年に開校し、今年で150周年の歴史がある伝統校だ。

大正4(1916)年に刊行した歌集『雲母(きらら)集』の中で、白秋は「此の『雲母集』一巻は純然たる三崎歌集である。この約九カ月間の田園生活は、極めて短日月であったが、私の一生涯中最も重要なる一転機を隠したものだと自信する。初めて心霊が蘇り、新生是より創った(※一部抜粋)」と回想。この一文から三崎で過ごした時間がその後の創作活動に大きな影響を与えたことが窺える。

波乱に満ちた人生

大正3年3月、「心の楽園」を求めた白秋は妻とともに三崎を離れ、当時まだ未開の地とされていた小笠原諸島へ。またすぐに都内に戻ったが、医者の娘で何不自由なく贅沢に暮らしてきた妻と両親との折り合いが合わずに離婚した。その後は32歳で江口章子、37歳で佐藤菊子と合わせて3人の女性と結婚生活を送った。

最後の菊子とは見合い結婚で、大正10年、37歳で父親になった。子どもができてからは『ゆりかごのうた』『からたちの花』『まちぼうけ』などの童謡を書き始めた。最後は昭和17年、享年57歳で死去した。

独自の感性で、懐かしさやあたたかさを帯びた作品を生み出した北原白秋。流浪の年月を送った日々で見た風景は、未だ三浦半島に名残を留めている。

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住所

神奈川県三浦市

公開日:2022-07-06

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