<ピンクリボン月間>体験者として寄り添う―吉田久美さんに聞く―

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<ピンクリボン月間>体験者として寄り添う―吉田久美さんに聞く―

2008年、41歳で乳がんを告知された吉田久美さん。15年に再発し、今も経過観察中だ。

まさか自分が…

右胸の上方に硬いしこりができた。「周りにがん患者はいなかったし、まさか自分がなるとは思わなかった」。当時、小学校1年と6年の息子の子育てに加え、働いていたため毎日が目まぐるしかった。ある日、下着に血がついていて、ネットで検索すると「乳がん」と出てきた。それでも病院に行く勇気が持てず、検診へ行った。3日後に届いた結果は「要再検査」。病院へ行き、その場ですぐに「乳がん」と診断されたが、「先生があまりに淡々と診断するので、自分のこととは思えなかった」。外の眩しい日差しに周りがキラキラ見え、自分だけがモノクロの世界に取り残された気がした。

「悪者を倒して生きる」と伝え

突然のがん宣告。既にしこりも大きかったため、乳がん=死と思いこんでしまった。子どもへどう伝えようか…悩む日が続いた。子どもたちが当時夢中だった戦隊ものに例え、「悪者を倒して生きるために、お母さん頑張る」と伝えた。「私のそばから子どもたちが離れなくなりましたね。夕飯の支度中、長男が『お母さん死んじゃうの?』って」。子どもの心のケアも必要だった。

真っ暗なトンネル

それから治療が始まった。まずは半年間抗がん剤治療。吐き気、手足のしびれ、味覚障害…様々な副作用があり、「真っ暗なトンネルの中を一人ぽつんと立っている感じ」。先が見えない不安に襲われた。髪もごっそりと抜け、シャワーの音で声を消して泣いた。

全摘出か部分切除か、選択を迫られた。全摘すれば再発の可能性は低い。部分切除だと胸は残せるが再発する可能性がある。手術当日まで迷ったが、部分切除を選んだ。それから放射線、抗がん剤治療を受けた。10年で卒業と言われる乳がん。診断されてから7年、あと少しと思った矢先、まさかの再発。「今度こそだめかも」と不安が増した。その後、部分切除の手術を受け、現在は経過観察中だ。

「ひとりじゃない」患者支える側へ

闘病中、友人から「私だったら耐えられそうにない」と言われたことをきっかけに、自分が支えてもらった分、患者を助ける側になりたいと、10年に「乳がん体験者コーディネーター」の資格を取得。平塚共済病院の乳がん情報提供室開設と同時に職員となった。乳がん患者や家族に適切な情報を伝えるほか、病棟に出向くことも。医師や看護師とチームでサポートしている。「当時は医療用の地味な帽子しかなく、気持ちも落ち込んだ」とガーゼ帽子を縫う会を設立。「夢中で作業していると嫌なことも忘れられる。がんサバイバー同士集まって作ることで、情報収集や『ひとりじゃない』ことを感じてもらえる場になった」吉田さん自身も乳がん再発の恐怖と常に隣り合わせの日々。「母親が病気になると家族から笑顔が消える。自分だけの命ではない。大切な人のためにも自分を大切にしてほしい」。乳がんと闘いながら、「誰かの支えになればと活動を続ける。

住所

神奈川県平塚市

公開日:2022-10-06

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