ふぅ…やっと下版が終わった(汗)。毎号一人で、新聞記事を執筆する記者です。この日の文字数は12,000超え。よく頑張った。自分で自分を褒めてあげたい。マラソンランナー・有森裕子さんの名言がふと出てきました。
ただ、何だかんだ言っても今の仕事は好き。たくさんの人に読んでもらえて承認欲求は満たされるし、「取り上げてくれてありがとう」なんて感謝されることも多いし。取材相手の笑顔だけが記者の両足を支えています。しかし、他人の事ばかり考えて、自分について考える暇なんてあまりありません。
ちょっとここらで休憩したい。心の渇きを潤わせたい。いつしかそんな思いが募るようになりました。
「四誓偈(しせいげ)」に挑戦
取材でお世話になっている三浦市にある三樹院の今井正純住職から1本の電話が。「今度、写経会を開くので、記者さんもどうぞ」とのこと。写経か。そう言えば今までの人生で体験したことなかったな。でも字汚いし、難しい漢字書けないし、間違ったらどうしよう。そんな不安もよぎりましたが、❝経験こそ財産❞と自らを奮い立たせ、思い切って寺院の門を叩くことにしました。
一歩足を踏み入れると、微かにお香の香りが漂っていて、何だかほっとします。地元住民からは❝今井の観音さま❞の愛称で親しまれている三樹院。今井住職に挨拶した後、このお寺について詳しく話を聞くと、建立は320年ほど前。檀家さんの要望を受けて、4年前から年3回のペースで写経会を開いているとのことでした。「雑事を離れ、一つのことに集中する」必要性を説きます。
書写経典は、「般若心経」や法然上人の遺訓を記した「一枚起請文」、今回は康僧鎧が漢訳した「四誓偈(しせいげ)」(220字)で、「浄土宗で最もよく唱えられるお経。修行中の阿弥陀仏が、全てのものを救うために48の願いを説いた後に4つの誓いを立て、この願いが成就されないなら仏にならないと誓った」と教えてもらいました。
なぜ写経ができたのか?
まずはお経が記載された1枚の紙をもらいました。5文字ずつまとまっています。参加者全員でお経を読み上げた後、2階の部屋に案内されました。
するとこの日のために、都内から招かれた写経研究家の高津恵美さんが待ち構えていました。高津さんによると、奈良時代より以前、日本に仏教が入ってきたばかりの時は印刷・版画の技術がなく、僧侶自身がお経を書き写すしかなかったと言います。自分で教科書を作るイメージですかね。これが写経の原点だそうです。
いざ本番、震える手
いよいよ本番。お経が書かれた手本が薄く透けて見える用紙に文字をなぞっていきます。
「感動」という文字を視界の隅にとらえた時、最近「感動」していないなぁ、今日は映画でも観ようかなとしみじみ。大人になってから、パソコンやスマホのキーボードを打つばかりだったからか、実際に筆を持って丁寧に一字一字書き写す行為はとても新鮮でしたが、手がプルプル震えてきます。静かな空間で字を間違えそうになって、思わず「やべっ」と独り言を口走ってしまいました。勝手に羞恥に悶えながら時が流れていきました。
「上手い下手ではありません。マイペースでいいんです。一字一句心を込めて書くのが大事」と高津さんに励まされながら、あっという間に50分が経過。ここでタイムオーバーです。
にじむ字、かすれる字
完成品はこちら。最初は力が入っているため滲み、最後は時間が迫ってきたので少々雑になってかすれています。「為」の下に「願文」=願い事を書くように促がされ、優柔不断の記者は数多い例の中から「仏さまがあなたの想いを汲み取って叶えてくれる」という「心願成就」をチョイス。書いたものは持ち帰ることも、納めることもできます。
集中とはほど遠かったのですが、無心で一つのことに向き合うことで、飾らない自分自身の心と対話することが出来ました。終了後は、達成感に満たされ、不思議と心が落ち着いていることに気付き、仏教の精神文化に触れられた大満足な1日となりました。
最後に・・・
最後は参加者にオリジナルクリアファイルが贈呈されました。この日訪れた人は記者を含めて27人。皆さんにインタビューすると、50代女性は「初めての体験で楽しかった。でも時間がなくて最後まで書けなかったのが悔しい。また挑戦したい」、70代女性は「今回で2回目。前よりは集中できたかな。家にいるとダラダラするだけだからね。外に出るいい機会よ」、80代男性は「この歳になって緊張することなんてないからいい刺激になった。願文は『大願成就』と書いたよ。いいことあるかな」とそれぞれの思いを胸に帰っていきました。
年明けの2023年2月には「般若心経」の写経会を予定しているそうです。