「尾崎行雄(咢堂)」の生涯について振り返る「近現代史講演会」@相模原市緑区:尾崎咢堂記念館

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「尾崎行雄(咢堂)」の生涯について振り返る「近現代史講演会」@相模原市緑区:尾崎咢堂記念館
応援演説に立つ、咢堂(1942年)=提供:一般財団法人尾崎行雄記念財団

 普通選挙法が公布されてもうすぐ100年が経つ。統一地方選挙が行われる今年、信念を持って民主主義と平和を叫び続けた相模原の偉人「尾崎行雄(咢堂)」の生涯について改めて振り返るとともに、その精神を現代の人たちに伝える活動を展開する団体に話を聞いた。

又野村で誕生

咢堂は1858(安政5)年、現在の緑区又野(旧:相模国津久井県又野村)に生まれた。2歳の時に家が火事に遭い、貧しい少年時代を過ごしたという。11歳の時、明治政府の役人となった父親の元へ上京。その後、高崎、伊勢へと移り住んだ。

 伊勢の英学校に入学した咢堂は勉学に励み、福沢諭吉の『学問のススメ』に感銘を受ける。自由と平等への志を抱き15歳で再び上京、慶應義塾に入学したが1年半で退学し工学寮へと進んだ。

代議士と市長を兼務

工学寮を中退後、翻訳や新聞社の主筆などを務める。1882(明治15)年、大隈重信率いる立憲改進党の結党に参画。27歳で東京府会議員となり、31歳で第1回衆議院議員総選挙で初当選を果たす。国会議員と府会議員を兼務し、1903(明治36)年に第2代東京市長に就任した。

米国へ桜苗木を寄贈

市長時代の有名な業績の1つが米国への桜の寄贈だ。紀行作家で親日家のシドモア女史から「ワシントンのポトマック河畔に桜を植えたい」と連絡を受けた咢堂は、ポーツマス条約の仲介をしてくれた米国への感謝を込めて1912(明治45)年に桜の苗木を寄贈、今では名所となっている。

「憲政二柱の神」

同年、9年間務めた市長を退任、犬養毅らと護憲運動を展開する。普通選挙運動の先頭に立ち、全国を遊説。人々が平等に選挙権を持つ普通選挙の実現に尽力し、犬養毅と「憲政二柱の神」と呼ばれた。その後、日本が軍国主義ヘと進む時代にも危険を顧みず軍部を批判し平和を訴え続けた。第25回総選挙まで連続して衆院議員を務め、その在籍期間は63年におよび最長記録を誇る。1954(昭和29)年に逗子の居宅で96年の生涯を閉じた。

 明治から大正、昭和へと激動の時代を駆け抜け、日本の議会政治の礎を築いたことから「議会政治の父」や「憲政の神」と称されている。

2つの『フセン』

「咢堂が偉大なのは、連続当選よりも、2つの『フセン』にあるんだよ」と話すのは、「尾崎行雄を全国に発信する会」の関戸昌邦会長。咢堂の生誕地である相模原で、「咢堂とその精神の再興」を図ることを目的に1989年に発足した同会は、演説大会や講演会など、さまざまな取り組みを展開している。

 国民の思いを政治に反映させる普通選挙の「普選」と戦争に反対する「不戦」。関戸会長は「ある時は犯罪者と言われながらも、その信念を貫いて自由と平和を訴え続けた咢堂の精神を伝えていきたい」と熱く語る。続けて「咢堂といえば『人生の本舞台は常に将来に在り』の言葉も欠かせない。経験や知識をどう生かしていくか考えさせられるよね」

生誕地に記念館

又野の尾崎家代々の屋敷跡には市立「尾崎咢堂記念館」が建つ。咢堂の写真や肖像画、遺品など多数の資料が展示されており、咢堂の音声も聞くことができる。

1月22日(日)には「近現代史講演会」を開催予定。午後1時30分から3時30分まで。

 講演会、ならびに同館への問い合わせは【電話】︎042・784・0660。

咢堂記念館で職員と咢堂談義に花が咲く、関戸会長(左)

開催日

2023年1月22日(日)
「近現代史講演会」
13時30分から15時30分まで

住所

神奈川県相模原市緑区又野691

問い合わせ

尾崎咢堂記念館

電話

042-784-0660

042-784-0660

公開日:2023-01-09

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