横浜市金沢区富岡東にある臨済宗建長寺派の「富岡山・長昌寺」。長昌寺は、1574年(天正2年)、後北条氏の家臣で富岡を領した柳下豊後守が亡き妻の菩提のために長昌庵として創建。約450年もの歴史があるお寺です。
そんな歴史のある長昌寺には、ほうそう(天然痘)除けの神様で知られる芋観世音菩薩が祀られ、毎年3月上旬の日曜日にご開帳の法要が行われています。
江戸時代から続き、ご利益を求めて多くの人が参拝に訪れるこの法要。新型コロナウイルス感染症の影響により、法要や霊芋のみ配布など規模を縮小して行われていましたが、2023年3月は4年ぶりに甘酒や玉こんにゃくの振る舞いが復活。法要の様子を取材してきました。
当日は約2000人が参拝!
芋観音は、人々から病気を抜き去り、お参りすれば「願い事がかなう」「容貌を美しくしてくれる」という恵み深い観音様といわれています。
また、天然痘が流行した江戸時代は、芋観音にお参りをして祈願し、池の湧き水を頂けば、「難を逃れられる」「患っても軽く治る」とされ、人々から絶大な信仰を受けていました。江戸時代はなんと、東京・江戸や相模から、子どもを連れた参拝客で賑わったと記録されるほど。
このご開帳日に参拝すれば、一年間参拝したのと同じご利益があるとのいわれも。2023年のご開帳には、4年ぶりに本格的な法要復活ということもあり、約2,000人が訪れたそうです。
「芋観世音菩薩」は、鳥見塚(富岡総合公園近辺と推測)にあった芋の葉が青々と茂る小さな池に観音様が現れ、この池の水を飲むと天然痘も軽くすんだことから芋観音と称され、池にお堂が建立されました。約90年前に横浜海軍航空隊の開設に伴い、長昌寺に移転。
戦後、長昌寺に観音堂を建立し、1980年に檀家、有志により縁日法要が再開されました。
法要当日の様子
法要は午前11時から。厳かな雰囲気の中、法要が始まります。
お経の一部を読み上げ、全てを読んだものとする「転読」。
申し込んだ方たちのお札を祈祷。
参拝客に配布される「霊芋(生里芋)」
玉こんにゃくの振る舞いは4年ぶりに復活。
霊験あらたかな御祈願札。「無病息災」「家内安全」「商売繁盛」「心願成就」「合格祈願」などを願う人が多いそう。
本堂の脇に設けられた芋観世音菩薩石像。法要当日も、井戸水をかけてお参りする参拝客の姿が多く見られました。
長昌寺 沿革
天正2年(1574年)、北条氏の家臣で富岡を領した柳下豊後守が亡き妻の菩提を弔うために長昌庵を創建。文禄2年(1593年)、柳下豊後守は里見水軍と戦い、槍で重症を負いながらも勝利。しかし、槍傷により同年9月17日に亡くなる。里見軍は撤退する際に当時の長昌庵の本尊、阿弥陀如来立像を持ち去ったが、里見軍らに不幸が続いたため、阿弥陀如来像の祟りとして、阿弥陀如来立像を返還。この像は現在も長昌寺に現存している。
明治37年(1904年)、富岡中部にあった西源禅庵が廃寺となり、長昌寺に統合。戦後、芋観世音菩薩を観音堂に迎え、現在に至る。
長昌寺・年間行事
1月1日~1月8日 | 横浜金沢七福神 布袋尊御開帳 |
2月23日 | 南国忌 |
3月上旬日曜日 | 芋観世音菩薩御開帳法要 |
4月8日 | 釈尊隆誕会 |
8月7日 | 山門大施餓鬼会 |
7月~8月、 |
盆・彼岸棚経回り |
1月1日午前0時 | 除夜改旦諷経 |
ご紹介した「芋観世音菩薩」以外にも、境内には直木賞で知られる直木三十五のお墓や、横浜市名木古木に指定されている樹齢約700年といわれる柏槙(ビャクシン)も有名です。
かわいい御朱印も人気です!
「御朱印集め」「御朱印巡り」で人気の御朱印も、長昌寺では通常どおり、その場で書いてもらえます。
歴史と自然あふれる長昌寺に、ぜひ足を運んでみては。