高田熊野神社の神輿がこのほど大規模修復を終え、6月10日に収められた。11日には記念渡行が行われ、4年ぶりに開催される浜降祭を前に地域にお披露目されました。
同神社の神輿は1977年に浅草で造られたもの。筆頭総代の浅岡肇さんは「みんながきれいに担いでくれたから、今まで大きな修復はせずに済んだ」と話しています。
ただ、屋根部分の漆が経年劣化でひび割れ、剥げてきたことなどから修復が決まりました。手がけたのは今宿の神輿工房「神輿康」(中里康則代表)。当初は6月末ごろに納められる予定でしたが、同神社神輿保存會の奥津光彦會長の「46年前に神輿が披露されたのが6月12日。なんとか近い日にちに」との願いに応え、作業が急ピッチで進められてきた。自らも今宿で會長も務める中里代表は「気持ちはよく分かる」と快諾しました。
今回の修復では垂木部分に金箔を貼り直したほか、台輪の四隅にあった鋳物の飾りと蕨手(わらびて)が合わせて80キロ以上あったことから、ケヤキ製で造り直し、担ぎ棒も広くするなどの調整を施しました。また台輪飾りは岸和田で製作したもの。同神社で祀る八咫烏と、以前境内にあり「浜からも見えた」という『大松』、従来から彫り込まれていた模様である『波に千鳥』が6センチ厚の一枚板を彩っています。
神輿をうれしそうに眺めていたのは久保田芳弘さん(83)。実は神輿が初めて作られた際、発注のため浅草に赴いた一人でした。「亡くなった父も、一緒に作りに行った友もきっと喜んでいるよ」と目を細めていました。
同神社の杉崎直人宮司は「後世に受け継いで安全に祭事を続けられるように」とし、浜降祭に向け奥津會長は「4年ぶりなのでまずは怪我のないように臨みたい。神輿を見せつけられるよう、格好良く浜に降りたい」と思いを語りました。