割り箸画家 三澤清太さん
宿河原に住む割り箸画家がいる。三澤清太さん(71)は、割り箸の先をカッターで削り、鉛筆の形状にして、墨汁で絵を描く。木に染み込みやすい墨汁と、線に味わいが出るとの理由から表面にざらつきのあるワトソン紙を使用している。
墨汁だけで完成させる場合もあれば、デッサンを割り箸で行った後、筆を使って絵の具で色をつける作品もある。「割り箸を立てる角度によって、線が細くなったり、太くなったり。味のあるざらつき感が出せるのも魅力」と語る。

細やかに割り箸画を描く様子
山形県天童市生まれ。父親はアルコール依存症だった。家に居場所はなく、子ども時代から田園風景を描くのが大好きだった記憶が残る。高校時代にポール・ゴーギャンの作品を見て、絵描きになる決心をした17歳。強い思いを胸に、東京へ。アルバイトをしながら、洋画を学ぶため東京藝術大学を目指し5浪をしていたとき。同郷の先輩から声を掛けられ、石版画を製作している会社に入社した。27歳で結婚、娘も授かった。
「自分不信になった日」
元々、酒好きだった。だが、35歳ごろから、それは「アルコール依存症」と呼ばれるほどに。37歳で離婚、妻が娘を引き取った。39歳で会社も辞めた。働きもせず、朝から寝るまで酒に浸る生活を長年送った。絵の教室を細々と行い、稼いだ。だが、その金も酒代にすべて消えていった。それでもなぜか、絵は毎日続けた。スケッチブックを持ち歩き、立ち飲み屋で絵を描くことも。
45歳で酒を断とうと決心した。だが、翌日には、飲んでしまう。「自分不信に陥った」と振り返る。父親はアルコール依存症で56歳で他界していた。「死のう」。母親には悪い気持ちはあった。だが、それを伝えることはなかった。
車道に寝た夜
もう覚悟は決まっていた。真夜中、酒を飲んだ状態で車道の真ん中に横たわり眠った。自動車にひかれ、30m以上引きずられた。目を覚ますと、救急病棟にいた。「生きてしまった」。入院中も花の絵を描き、各病棟に配った。「どんなに酒を飲んだ日も絵だけは描いた。17歳で決心した志は忘れずにいたのかもしれない」と回顧する。47歳で依存症を克服するために病院や自助グループへ。その後、酒は一滴も今まで飲んでいない。
「誰もやってないから」
28歳のとき、パリのルーブル美術館を訪れた。「先人たちの画力がすごく。自分は敵わないと失望した」。だからこそ、誰もやっていない割り箸画で生きようとひらめいたのは30歳だ。
「今まで約40年、割り箸でやってきた。女房も子どもも。酒も捨てた。俺には絵しか、もう残ってないんだよな。割り箸持って、死にたいね」
「わりばし画展」
多摩市民館2階市民ギャラリーで11月24日(金)から29日(水)まで、三澤さんの「わりばし画展」を開催。午前10時から午後5時。
(問)三澤さん【電話】044・930・5519