社会人ラクロスチーム「MISTRAL(ミストラル)」に所属する鈴木理沙さん。日本代表キャプテンなどを経験し、今年2月にはミストラルの一員として日本一に輝きました。現在は、2028年ロサンゼルス五輪で採用される6人制ラクロス「SIXES(シクシーズ)」に挑戦中。家族と暮らす茅ヶ崎を拠点に、再び世界の舞台を目指しています。

「まだ、こんな世界が残っていたんだ」
長崎県長与町で育った鈴木さんは、幼い頃からバレーボールや陸上競技に取り組んできました。努力することは好きだったものの、なかなか結果につながらず、大学では自分が競技をすることを諦めようと考えていたといいます。転機となったのが、大学の新入生歓迎会で出会ったラクロスでした。大学から始める人が多く、スタートラインはほぼ同じ。チームでは日本一を、個人では日本代表も目指せると聞き、「まだ、そういう世界が残っていたのかって、ビビッときました」と振り返ります。
「最後の学生生活で、諦めずに何か結果を残したい」
その思いで、ラクロスの世界へ飛び込みました。

「誰にでもできることを、誰よりもやる」
ラクロスは「フィールドの格闘技」とも呼ばれる激しいスポーツです。クロスと呼ばれるスティックを使い、相手の動きを読みながら攻守を展開します。女子でもシュートは時速100キロほどに達し、スピード感も大きな魅力です。現在取り組むSIXESは、従来のラクロスよりも人数が少なく、短い時間で次々と攻守が切り替わります。長年競技を続けてきた鈴木さんにとっても、「違うスポーツのよう」と感じるほど新しい挑戦です。そんな鈴木さんがプレーで大切にしているのが、「誰にでもできることを、誰よりもやる」という言葉。「自分はすごく技術が高くて、キラキラした選手ではない」と話す一方で、一対一の強さや展開を読む速さ、チームで決めたことを誰よりも率先して実践することを武器にしてきました。

「フィールドの格闘技」とも呼ばれるラクロス。おしゃれな印象とは対照的にクロスが体に当たることもある、迫力ある競技だといいます。
母としてつかんだ、もう一度の日本一
今年2月、ミストラルは全日本選手権を制し、日本一に輝きました。実は2022年にもチームは日本一になっていますが、当時の鈴木さんは妊娠中。選手ではなく、チームを支える側として優勝を見届けました。だからこそ、今年の優勝では「やっとたどり着いた」という気持ちが強かったといいます。
出産後の競技復帰も簡単ではありませんでした。授乳や抱っこ、睡眠不足などで身体への負担も大きく、以前と同じ自分に戻ることはできなかったといいます。そこで目指したのは、「元の自分」ではなく「新しい自分」。自分の身体と改めて向き合い、苦手だったプレーにも挑戦することで、
「産後の新たな自分として、パワーアップしてコートに戻れたと思います」
と話します。試合会場では、息子さんが「ママ、頑張れ!」と声援を送ってくれるようになりました。
「いつか子どもが何か踏ん張らなきゃいけないときに、『ママも頑張ってたな』って思ってもらえたら」
競技を続けることには、母となった今だからこその意味も加わっています。

プレー中の鈴木さん。躍動感あふれる様子から、ラクロスのスピード感が伝わってきます。
頑張る場所も、休む場所も茅ヶ崎
鈴木さんと茅ヶ崎との縁は古く、母親の実家があることから幼い頃から何度も訪れていました。大学時代の4年間も、祖母の家がある茅ヶ崎から大学へ通っていました。現在も家族で茅ヶ崎に暮らし、海や柳島周辺は日々のトレーニングの場所にもなっています。一方、少し気持ちを休めたいときには、息子さんと海へ。
「夕焼けの中で見る富士山がすごくきれいで。息子と海に行って、ちょっと眺めて帰ることもあります」
柳島スポーツ公園で息子さんと遊んだ後には、道の駅 湘南ちがさきに立ち寄り、プレンティーズのアイスを食べるのも家族の定番です。アスリートとして頑張る時間と、家族と過ごす時間。その両方が茅ヶ崎の日常の中にあります。

「家族の理解と支えがあるからこそ、競技を続けられている」と話す鈴木さん。
引退するはずだった先に、五輪への挑戦
実は今年2月の日本一を最後に、鈴木さんは競技を引退するつもりでした。そんなタイミングで届いたのが、SIXES日本代表への話でした。その先には、2028年ロサンゼルス五輪があります。
「最後の挑戦をさせてほしい」
そう家族に伝え、再び世界を目指すことを決めました。10月には、オリンピック出場につながる大陸予選が控えています。まずはアジアで1位となり、その先の世界大会へ。そして、わずか6カ国という五輪出場枠を勝ち取ることが目標です。さらに鈴木さんは、自身の挑戦の先に「茅ヶ崎でラクロスを広げたい」という思いも持っています。
「子どもたちがスポーツを選ぶときに、ラクロスも一つの選択肢になったらうれしい。いつか茅ヶ崎からラクロスの日本代表やオリンピック選手が出てきたら」
大学時代、偶然出会ったラクロスによって開かれた道。今度は、自分が次の世代へその入口をつくる側へ。
「誰にでもできることを、誰よりもやる」。
鈴木理沙さんの挑戦は、茅ヶ崎から世界へ続いています。

















