トレンディ俳優として一世を風靡し、多くのドラマや映画、舞台などに出演している吉田栄作さんのご実家は、秦野駅近くの商店街にあります。地元商店ともゆかりの深い吉田さんに、幼少期から青春時代までを過ごした秦野市での思い出や、芸能活動を志したきっかけ、故郷に対する思いなどを聞きました。
吉田栄作さんインタビューvol.1はこちら
「記録に残る生き方を」
芸能界を目指すようになったきっかけを教えてください
高2の夏休みに当時のガールフレンドと新宿に遊びに行って、高層ビルの五十何階かにある景色のいい場所でコーヒーを飲んでいたんです。ふと窓から外を見下ろすと、地上のスクランブル交差点を行き交う人たちがすごく小さく見えて。
その光景を見たときに 「人生は一度きりだし、なにか記録に残る生き方がしたい」と感じたんですよね。帰りの小田急線の中で、自分が死んだときに何かを残したいっていう熱い思いがわいていました。
そして俳優の道を志したのですね
次の日には部活をやめて、東京の俳優養成所に通うようになりました。放課後は、上京に向けて毎日のようにアルバイト。忠実屋の夜間陳列やコンビニ、東名高速道路下りの中井パーキングエリアと小田原厚木道路のパーキングエリアの売店、全部で4つのバイトを掛け持ちしていました。
もちろん高校は卒業しておこうと思ったので、テストが近くなるとガッと集中して一気に覚えるスタイルで乗り切りました。あのころ身につけた記憶力は、役者として台本を覚えるときにも役立っているのかな(笑)。
上京の寂しさはありませんでしたか
18歳の僕にとっては、夢や希望、大都会への憧れという思いのほうが強くて、寂しさよりも「あばよ」っていう感じが強かったですね。
深まる故郷との縁
秦野を離れて25 年以上が経った2013年には、母校の本町小学校創立140周年記念事業で講演されました
子どもたちには、「僕は夢を見てこのまちを出たけれど、今も秦野は大好きな場所。みんなも夢を持って生きていってほしい」と伝えました。高校2年生の夏、何かを残したいと感じたあの思いを、故郷の秦野で果たせたのはうれしかったですね。
「残す」といえば、2015年の市制施行60周年の際には、2005年の市制施行50周年記念歌『With you ありがとう』のCD発売に向けたレコーディングに参加されました。同年の秦野たばこ祭に初出演し、本町小学校のステージで楽曲を披露されましたね
子どものころから大好きだったたばこ祭で、しかも母校のグラウンドに組まれたステージで、たくさんの人が自分の歌を聴いてくれた感慨はひとしおでしたね。
原風景としての秦野
吉田さんにとって、秦野とはどんな存在でしょうか
秦野を出てそれなりの時間が経ち、いろんな経験もした今だからこそ、あの故郷があって良かったなと素直に思 えるようになったんです。帰巣本能というか、「帰りたい」という気持ちが年々強くなっていく。
吉田家のあの両親、あの兄弟、そしてあの環境のなかで育ったことが、全て今の自分につながっていると感じます。
最後にメッセージをお願いします
秦野を知らない、まだ行ったことがないという人には、ぜひ足を運んでもらいたいです。丹沢も近いし鶴巻温泉もある、自然豊かで風光明媚な観光地としての魅力にあふれていますから。
おいしい食べ物もたくさんありますしね。それに、小田急線でも東名高速でも、東京からとにかく近い。秦野の魅 力を知ってもらって、僕がこういうところで育ったんだということを感じてもらえたらうれしいです。そして、秦野で暮らす人たちならとてもいい場所ということを誰よりも分かっていると思います。僕らの故郷にますます誇りを持ってもらいたいですね。
Profile
1969年秦野市生まれ。88年に映画「ガラスの中の少女」でスクリーンデビュー。91年のドラマ「もう誰も愛さない」では主演を務め、トレンディ俳優として一世を風靡した。2003年のNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」、ドラマ「ブラック ジャックによろしく」での演技が評価され、第41回ギャラクシー賞奨励賞を受賞。映画「花戦さ」や「響-HIBIKI-」「空母 いぶき(2019年5月24日~ロードショー)」では俳優としての存在感を示した。音楽活動では「心の旅」、「今を抱きしめて」など、シングル18枚、アルバム8枚をリリースしている。