令和はシュウマイの時代!その中心は横浜!と断言するシュウマイ研究家が、横浜から「シュウマイ愛」を叫び(語り)ます。あなたの中で閉ざされた「シュウマイ愛」の扉が開くかも?
前回、日本のシュウマイの歴史を考える指標として「シュウマイ第七世代説」を提唱し、第三世代まで解説しました(第二世代が横浜をはじめとする中華街のシュウマイ)。それに続く第四世代のシュウマイは……中華料理のシュウマイをベースに、日本人好みの独自のシュウマイに仕上げた「ジャパニズム・シュウマイ」。その発祥は、駅ナカの売店だったり、町中華の発展形だったりとさまざまですが、その代表格といえるのが、我らが横浜「崎陽軒」であります。
ご存知の方もいると思いますが、崎陽軒の「シウマイ」は横浜名物を生み出すべく、当時の南京町(現在の横浜中華街)の点心職人・呉遇孫をスカウトし、電車内で冷めても美味しく食べられるよう、豚肉と干帆立貝柱を混ぜ合わせた「シウマイ」を開発、1928年より発売し始めました。つまり、今で言う「駅ナカ」グルメと、中華街とのコラボレーションが、日本を代表する「ジャパニズム・シュウマイ」を生み出したのです。
他の地域の代表格といえば、大阪難波の町の食堂から発展し、今や大阪名物となった「豚まん」に次ぐ人気を誇るシュウマイを販売する「551蓬莱」。また、崎陽軒と同様に駅ナカの売店として創業、シウマイ(同店では「焼麦・シャオマイ」表記)を名物として今も地元を中心に愛され続ける佐賀県鳥栖の「中央軒」などがあります。今回は第四世代だけで終わってしまいました…第五世代以降はまた次回。