神奈川県銘菓共励会は神奈川県指定銘菓を製造・販売する県内各地のお店が加盟している会です。発⾜以来50年・半世紀の歴史を印しましたが、その起源はそれよりも尚数年以前に溯ります。ここでは、神奈川県銘菓共励会の歴史について紹介します。
- 神奈川県指定銘菓…神奈川県指定銘菓制度において県内で味・意匠・技術等が特に優れた菓子を県指定銘菓として指定。神奈川県のサイトはこちら。
<目次>
1.源流は近藤神奈川県知事の戦時特配
2.野毛で初の銘菓指定証交付
3.第12回菓⼦博(横浜菓⼦博)で名声全国にとどろく
4.銘菓展を開催し県⺠にPR
5.県の観光⾏政の⼀翼を担う
▽歴代名誉会⻑
▽歴代会長
1.源流は近藤神奈川県知事の戦時特配
第⼆次世界⼤戦が始まり、無資源国の⽇本はあらゆる物資が不⾜。 そのため統制令が布かれ、軍⽤物資以外は悉く消費が制限されました。 当時の神奈川県知事・近藤壌太郎⽒は、神奈川県内の産業において伝統的な⽂化・技術が原材料不⾜のため衰退しつつあるを憂い、各⽅⾯にわたり対策を講じましたが、特に困窮の度の強い製菓業界に対しては戦時特配として最⼩限の原材料の配給を⾏い、伝統の製菓技術の維持温存を図りました。
戦後においては県知事は公選制となり、官選の近藤知事から⺠選の内⼭岩太郎知事へとバトンタッチされましたが、内⼭知事は前知事の施策を踏襲、昭和24年に製菓業界の有志が⾏なった知事陳情に対して神奈川県独⾃の指定銘菓制度を制定しました。
2.野毛で初の銘菓指定証交付
第⼀回の神奈川県指定銘菓審査会は野⽑の迎賓館で開催され、審査出品のうち32点が合格、昭和25年11⽉10⽇、初の神奈川県銘菓指定証が授与され、この32名が神奈川県の施策に呼応して「会員相互が共に励む」との意を表しました。
会名・神奈川県銘菓共励会を団体名に決め、神奈川県知事を名誉会⻑に推戴し以来研鑚に励み、今⽇に⾄っています。
3.第12回菓⼦博(横浜菓⼦博)で名声全国にとどろく
神奈川県銘菓共励会の存在を全国に知らしめたのは、横浜で第12回全国菓⼦⼤博覧会が開催されてからです。全国菓⼦⼤博覧会は、昭和14年4⽉に九州・⼤分市で第11回が開かれてからは⼤戦のため途絶えたまま、戦後の退廃の気⾵に翻弄されて中断され、復興がおぼつかなかったのですが、横浜を中⼼とする神奈川県内の菓⼦業界は、県内が⼀丸となって全国の同業者に呼び掛け、更に神奈川県当局も共催して⼤成功を収めました。
全国菓⼦⼤博覧会は菓⼦業界のオリンピックとも称され、横浜菓⼦博は戦後初の開催で、敗戦7年後の昭和27年5⽉20⽇より30⽇までの11⽇間、⽶軍施設体育館フライヤージムなどを借⽤して開催しました。
第12回全国菓⼦⼤博覧会へは神奈川県銘菓共励会コーナーが設けられ、その出品の品格の⾼さが⼤いに評価され、名声を轟かすとともに第12回全国菓⼦⼤博覧会の正副会⻑に神奈川県銘菓共励会の⼩宮四九会⻑、⼭⽥政⼀副会⻑が就任しており、いやが上にもその名が轟いたのです。
4.銘菓展を開催し県⺠にPR
神奈川県当局の肝⼊りで、県、銘菓共励会、県菓⼦⼯業組合の三者により神奈川県名菓展会が組織され、昭和36年5⽉、港に近いシルクセンターで第1回神奈川県名菓展が開催されました。
名菓展は、⼀般消費⼤衆に無料開放され、⼯芸菓⼦も多数展⽰されて⾼い評価を受け、これにより神奈川県指定銘菓及び銘菓共励会の存在は広く県⺠の知るところとなり、また神奈川県指定銘菓への登⻯⾨として、菓⼦の審査出品が多くなり製菓技術の向上に⼤いに資するところとなりました。
第2回神奈川県名菓展は、昭和39年3⽉、横浜⾼島屋デパート催事場を会場に開かれ、満員の盛況を呈し、知名度は⼀段と⾼まりました。第3回神奈川県名菓展は、昭和41年10⽉、横浜駅⻄⼝ダイヤモンド地下街商店街の⼀⾓で開催、⾼松宮、同妃両殿下をお迎えして話題となりました。
以降、神奈川県名菓展は第9回までは横浜駅⻄⼝ダイヤモンド地下街商店街の⼀⾓で、第10回からは横浜駅⻄⼝相鉄ジョイナス4階ヤング広場を会場とし隔年開催に。第18回神奈川県名菓展からは、横浜⾼島屋デパート催事場で開かれる神奈川県物産展と併催の形で催すこととなりました。
5.県の観光⾏政の⼀翼を担う
また、神奈川県の要請により、県が主催する物産展に指定銘菓コーナーを設けて出店展⽰し、県の観光⾏政の⼀翼を担いました。この開催地は、全国主要都市各地に及び、遠くは⽶国ハワイでも行われました。
歴代名誉会⻑
歴代 |
会長名 |
初代名誉会⻑ | 内⼭岩太郎 |
第2代名誉会⻑ | 津⽥⽂吾 |
第3代名誉会⻑ | ⻑洲⼀ニ |
第4代名誉会⻑ | 岡崎洋 |
第5代名誉会⻑ | 松沢成⽂ |
第6代名誉会⻑ | ⿊岩祐治 |
歴代会⻑
歴代 | 会長名 |
就任期間 |
初代会⻑ | ⼩宮四九 | 昭和25年11⽉〜昭和49年2⽉ |
第2代会⻑ | ⼭⽥正⼀ | 昭和49年3⽉〜昭和53年10⽉ |
第3代会⻑ | 岡⽥茂平 | 昭和53年11⽉〜平成元年4⽉ |
第4代会⻑ | ⼭⼝富次郎 | 平成元年5⽉〜平成3年3⽉ |
第5代会⻑ | ⼭本徳太郎 | 平成3年4⽉〜平成13年4⽉ |
第6代会⻑ | 菊池英雄 | 平成13年5⽉〜平成30年4⽉ |
第7代会⻑ | 杉⼭和史 | 平成30年5⽉〜 |