その歴史は1871年にさかのぼる
松田町の無形文化財「大名行列」。町によれば、その歴史は明治4(1871)年の廃藩置県にさかのぼるそうです。小田原藩の殿様が東京へ移る際、松田の人が「いつもやっていた奴振りを寒田神社の行列に組み入れて、後世に残したい」と申し入れて認められたのがはじまり。
- 取材メモ ちなみに、昭和10(1935)年には箱根で観光博覧会が開かれ、ここで呼び物として箱根大名行列が行われましたが、この時、指導にあたったのは松田の奴振りだったそうです。聞けば聞くほどすごい歴史ですね!
失くしてはいけないものがある―
高齢化の進展や家族構成の変化、そしてライフスタイルの多様化と、時代とともにそこに生きる人たちの生き方、考え方も変わっていきます。素晴らしい伝統や文化があっても、それを受け継いでいくことは、言うほど簡単ではありません。
松田町の大名行列も長く保存会が担い手として守っていますが、いざイベントに登場するとなれば、演者の稽古や道具の手配、衣装の着付けに、当日の進行など多忙を極めます。休日返上も当たり前!そんなメンバーたちの背中を押すのは「このまちに育ててもらったという感謝」だといいます。
長谷川会長「今度は自分たちの番だ」
保存会の会長を務めるのは長谷川聡さん。松田の伝統を後世につなぐことの意味を問うと「難しいことではないんです。かつて自分たちが子どもだったころに、地元の大人たちと関わった楽しい思い出が今も記憶にあり、それが今、町を愛する気持ちにつながっている。私たちが大人になった今、今度は自分たちが町の子どもたちとの思い出を作りたいと考えているんです」と。
- 取材メモ 所作の細部に至るまで妥協なき指導の一方で、ひとたび休憩時間になれば、小学生たちに向けられるまなざしは、すこぶる優しい。そんな大人の背中に子どもたちが必死についていく様子はとても微笑ましいです。
やらされているんじゃない、やりたいんだ!
小学生たちにとって「ヒーハーヒー」「エーヤットマカセ」「ヤットマカセ」「ヨーイヨイヤサッササ」…、大名行列の掛け声や動作は馴染みがあるものではありません。
それでも、大人たちから松田に伝えられてきた歴史、掛け声や動作の意味を教わると、動きにも俄然キレが増していきます。「振りを覚えるのは難しいけれど、本番が楽しみ!」「やるほどに楽しくなっていくのがフシギ!」。
そこには自ら進んで取り組む意欲がたっぷり。子どもたちが町のことを考え、町の歴史を学びながら真剣に取り組んだ一コマ一コマは、かつての長谷川さんのようにしっかりと胸に刻まれ、次代の町を支える大人となることでしょう。