川崎市市制100周年を迎える令和6年、高津区千年に「橘樹歴史公園」がオープンしました。市公園のシンボルは、全国で初めて復元した飛鳥時代の倉庫。実はここに川崎のルーツがあるのです。
なぜ飛鳥時代の倉庫が? 史跡橘樹官衙遺跡群とは
倉庫が復元された理由は橘樹歴史公園がある場所と深い関係が。公園があるのは国史跡橘樹官衙遺跡群。川崎市のほぼ中央にあたる高津区千年と宮前区野川本町周辺にまたがる丘陵上にあります。
橘樹官衙遺跡群は古代の武蔵国21郡のひとつ、橘樹郡の役所跡である「橘樹郡家跡(たちばなぐうけあと)」と、古代寺院遺跡が発見されている「影向寺遺跡(ようごうじいせき)」からなります。
橘樹郡家跡については、平成8年に実施された宅地造成工事に伴う発掘調査で、東西に整然と並ぶ倉庫群跡が発見されました。これをきっかけに川崎市教育委員会が継続して調査し、橘樹郡家の正倉院や郡家に関連する多くの堀立柱建物跡が確認され、古代にはこの場所に橘樹郡家があったことが明らかになりました。
古代橘樹郡は現在の川崎市とほぼ同じ範囲と考えられることから、橘樹郡家は橘樹郡の政治・経済・文化の中心地として、川崎市にとって歴史・文化的に非常に重要な遺跡といえます。
調査・研究の進展もあり、橘樹郡家跡は影向寺遺跡とともに、7世紀後半~10世紀にかけての古代地方官衙の成立から廃絶までの推移を知る上で全国的にも貴重な遺跡であると評価され、平成27年3月10日に、「橘樹官衙遺跡群」として川崎市初の国史跡に指定されました。
歴史公園の特徴は
約1300年前の姿を多くの人にイメージしてもらえるよう、また橘樹官衙遺跡群の歴史的価値を知ってもらえるよう、市は史跡整備に着手しました。約3000㎡の橘樹歴史公園の地中には、飛鳥時代の役所の倉庫跡4棟が保存されていますが、その大きさや質感などに触れ、古代橘樹を体感できるよう、1棟は全体を、3棟は柱の一部を復元しました。
古代の手法で倉庫復元
倉庫内には、当時の税制度「租庸調(そようちょう)」の「租(そ)」として納められた稲が保管されていたと考えられています。高床倉庫は湿気や地面からの虫などを防ぐことができ、稲の保管に適していたのです。
発掘調査で判明したのは、一辺約6m四方、総柱の掘立柱建物(地面に柱を立てる穴を掘り、そこに直接柱を据えたもの)であることと、直径約30㎝の柱16本を、高床の束柱(床を支える短い柱)として使っていたことです。飛鳥時代の倉庫を復元するにあたり、構造等は文献資料や奈良・平安時代に建てられ、今まで残っている倉庫を参考にしています。
倉庫の高さは、地上から屋根まで約9m、構造は柱を用いず板材を組んで屋根等を支える板校倉造(いたあぜくらづくり)、屋根は切妻造の茅葺です。また、古代の大工道具である手斧(ちょうな)やヤリガンナを使用し、可能な限り古代の技術・技法を採用しています。
雅楽と「閉封の儀」でお祝い
オープン日の2024年5月18日には、関係者や地域住民が集まり記念式典が行われました。福田紀彦市長や職員は、当時を再現した装束を身にまとい出席。「橘樹郡司」として登場した福田市長は「川崎のルーツがここにある。知ってもらい大切にしていきたい」とあいさつしました。
倉庫に鍵をかける古代風のセレモニー「閉封の儀」、建物新築の際に上演されてきたという雅楽「賀殿」の上演もあり、川崎の新たな歴史のはじまりを祝いました。
倉庫の見学会も実施予定
倉庫内部は通常非公開ですが、特別見学会も予定されています。
次回は、
公開期間:6月17日(月)~21日(金)
公開時間:13:00~15:00(受付時間は12:45~14:45)※小雨決行、荒天中止
申込み不要(自由参加)
文化財課職員の説明とともに特別に公開します。この機会に是非訪れてみては。
アクセス
※駐車場・駐輪場はないため、公共交通機関の利用を。
①武蔵小杉駅・武蔵中原駅から:市バス・東急バス(鷺02)(杉06)(杉09)
「影向寺」バス停下車後、徒歩約10分②武蔵新城駅から:市バス・東急バス(鷺02)(杉06)(城11)
③武蔵溝ノ口・溝の口駅から:市バス・東急バス(溝21)(溝22)
④宮前平駅から:市バス(城11)
「千年」バス停下車後、徒歩約15分