秦野市は「第73回秦野たばこ祭」を例年の9月から11月21日(土)・22日(日)に延期しての開催を予定していたが、新型コロナウイルス感染症の再拡大を受け、8月6日の同実行委員会で中止することを決定した。
「秦野たばこ祭」は秦野市の一大イベントであり、昨年は2日間で34万9000人が来場している。同実行委員会は今年6月、新型コロナウイルス感染症の拡大により「通常の日程の開催は難しい」と判断したが、市民や商工業者の希望の灯を早期に消さないように11月に「延期」とし、開催の道を模索していた。
しかし、7月中旬頃から新型コロナウイルス感染症の再拡大が懸念される状況に。そんな中で8月6日に開催された同実行委員会で「祭りに関わる全ての人への感染拡大防止策の確実性が担保できず、安全・安心な祭り運営を行うことが困難な状況にある」とし、「第73回秦野たばこ祭」の中止を決定した。
市観光振興課によると、秦野たばこ祭の中止は1988年(昭和63年)の第41回以来、2度目となるという。今回の中止を受け、市では秦野たばこ祭のメモリアル事業として、11月に秦野葉たばこ資料や歴史資料展などを開催する予定。また、今後も同実行委員会は打ち上げ花火をはじめとした「秦野たばこ祭」の内容の一部実施や、地域活性化策などを検討していく予定だという。
タバコ耕作で発展歴史を伝える祭り
「秦野たばこ祭」は、タバコ耕作農民の慰労のため、煙草耕作組合が創立25周年を記念し、1948年(昭和23年)に開催したのが始まり。
秦野では、江戸時代からタバコ耕作を行っていた。富士山の噴火による降灰で荒れた土地でも栽培が可能だったために、耕作地が徐々に増えていったと考えられている。幕末から明治にかけて喫煙習慣が一般に広まるようになると、秦野たばこの需要も増大。地元の篤農家が苗床や乾燥法の改良に努めたことで、全国有数の産地になり、後に薩摩(鹿児島県)、水府(茨城県)とともに「三大銘葉」の一つに挙げられるようになった。
1898年、現在のイオン秦野ショッピングセンターのある場所に専売所が設置されると、葉タバコの輸送手段として軽便鉄道も敷設。大正・昭和初期にはタバコ耕作が全盛期を迎え、秦野の発展につながっていった。
しかし、戦争によって労働力や資材が不足するようになると、農業の主流は食糧生産に移行。1944年には市内のタバコ耕作面積は全盛期の3分の1まで減少した。そんな中で開催された「秦野たばこ祭」は、1955年以降、秦野市の誕生と共に財政を潤す観光事業として発展。1984年に、秦野市内のタバコ耕作が幕を閉じた後も、歴史を伝える祭りとして市民に愛されている。