鎌倉時代終わりから室町時代初めにかけて活躍した禅僧「夢窓疎石」。「七帝の帝師」とも呼ばれ、天皇家や北条家・足利家と深く関わり崇敬をあつめた。夢窓疎石は禅の興隆や政治的な役割を担う一方で、文化史にも多大な足跡を残した。
京都にある世界文化遺産の天龍寺や苔寺で有名な西芳寺の庭園は、夢窓疎石の作庭だといわれている。共に素晴らしい造園の妙で特別名勝庭園に指定されている。
鎌倉にも夢窓疎石の作ったと伝わる庭園が残っている。紅葉ヶ谷の奥に佇む瑞泉寺の庭園である。夢窓疎石は瑞泉寺の開山として迎え入れられ、境内奥に岩窟を含む見事な庭園を築いた。特徴は自然の地形をいかした精神修行の場だ。かつてここで坐禅をおこなった者達は、どういった境地に辿り着いたのであろうか?
京都と鎌倉を行き来した夢窓疎石は、鎌倉幕府最後の得宗である北条高時や、高時の母覚海尼に懇願され鎌倉へ入った。そして浄智寺や円覚寺など北条家ゆかりの禅寺に住した。
夢窓疎石は浄妙寺の裏手に御墓が伝わる足利直義(尊氏の弟)とも懇意に交わっていた。二人の問答は「夢中問答集」という書物となり伝わっている。
今、瑞泉寺を訪れると見事な新緑が広がり、鳥の鳴き声が谷戸に響き渡る。苔に覆われた石段を登ると、そこには確かに夢窓疎石の世界が広がっていた。 浮田定則