【街づくりのプロフェッショナル】有限会社ヴィクトリー・安藤均さん

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【街づくりのプロフェッショナル】有限会社ヴィクトリー・安藤均さん

「この街を盛り上げていきたい」

不動産管理業を営む有限会社ヴィクトリーの代表を務める傍ら、NPO法人小杉駅周辺エリアマネジメントの理事長、保護司として神奈川県薬物乱用防止指導員、武蔵中原観光協会会長、中原区文化協会事務局長、小杉神社の奉賛会会長、西明寺の総代、川崎リバティライオンズクラブなど、役職や肩書は両手では足りないほど。安藤さんは、すべては「この街を盛り上げていきたいから」とさらりと口にする。「地域を盛り上げるためには、やはり地元の人間が立ち上がらないと」

「最近は卒業した学校の同窓会の会長まで頼まれた」と笑う。「先輩から頭を下げられたら断れないよね」。忙しさは理由にしない。引き受けたからには持ち前のキャパシティの広さと機動力、フットワークの軽さで役割をこなすことに全力を尽くす。

「新旧住民の橋渡し役」

3代目の理事長として牽引するNPO法人小杉駅前周辺エリアマネジメント(通称エリマネ)は、川崎市中原区の武蔵小杉駅周辺にあるマンション住民と周辺町会、商店街、行政をつなぐ“橋渡し的な存在”。

武蔵小杉をより住みやすい街にするため、自ら先陣に立ち、イベントの企画や企業との交渉に臨む。ここ3年はコロナ禍で活動が停滞したが、コロナが落ち着きつつある中、新たなスタイルで地域住民がイベント等を通して交流の輪を広げられるよう、組織の舵をきる。「イベントだけではなく、防災活動に関することも考えていきたい。世界的な気象変動で何があるかわからないから」と気を配る。

「エリマネがあったから地域のつながりが生まれた」。安藤さんにとって、そう思われることがやりがいになる。いざというときに備え、マンション間の交流も深めていくつもりだ。「特に防災に関しては訓練等を通して地域コミュニティーの大切さを知ってもらいたい」

「近代的で伝統もある中原区」

400年の歴史があり、小杉の名主を務めた旧家である「安藤家」の20代目。祖先は小田原の後北条氏に仕え、後北条氏滅亡後に小杉村に帰農したと伝えられる。江戸時代には、橘樹郡小杉村の名主として代官の指揮下で近隣の村々の名主を統括していた。

曾祖父は政治家として丸子橋の建設に関わり、祖父は地域の郵便局長を長く務めた。生まれも育ちも中原区で、西丸子小学校に通った生粋の“中原っ子”。父親が個人で営んでいた不動産管理業を30代の若さで引継ぎ、法人化した。

中原区の魅力について「近代的でありながら、伝統を重んじているところ」と語る。駅前は再開発で新しい風も吹くが、少し離れたところには歴史的な建造物も残る。

安藤家の「長屋門」は、江戸時代末期の建築物。木造平屋建て、寄棟造りで平成24年に川崎市の重要歴史記念物に指定された。個人所有の建築物としての指定は市内では初となる。

「住みたい街から住み続けたい街へ」

金融関係のサラリーマンから地元に戻って会社を受け継ぐと、これまで知らなかったいろいろなことに触れる機会が増え、世界が広がった。活動の中で大切にしているのが人との出会い。「サラリーマン時代には思いもよらなかった人たちとのたくさんの出会いが自分の視野を広げ、人間として大きくしてもらえている」と話す。

警察や消防、行政、町内会、商店街、企業…さまざまな人たちと出会い、横のつながりもできた。「人脈はお金で買うことができない貴重なもの」。多くの事業に携わることで多忙さはあるが、普通ではできない経験が得られることも確か。

平日は仕事と各種会議や打ち合わせ、週末はイベント事業やボランティア活動にあてることも多い。「求められている以上、やるしかない」との思いもあるが、自分の力が必要とされるならできるだけのことはしたいとの思いが強い。最近は健康についても気を配る。「家族のため、もちろん自分自身のためにも健康であり続けることが大切だから」

地域に交流の場を提供し続け、地域が活性化することで、暮らす人々を笑顔にできたらと願う。

  • 武蔵小杉が「『住みたい街』から、もう一歩進んで『住み続けたい街』と言ってもらえるよう頑張りたい」

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住所

神奈川県川崎市中原区

公開日:2023-05-31

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