相模湾や富士山、箱根連山の眺望が眼前に広がり、境内を囲む桜や新緑の木々が四季折々の美しさを見せてくれる「時宗 海向山 遍照院 光明寺」。小田原市国府津にあるこの閑静な寺院は、時宗2代目のお上人・他阿真教上人により1297年(永仁5年)に開創されました。当初は国府津海岸近くに創建されたため「海向山」と名付けられています。
本堂には、ご本尊の「阿弥陀如来」がお祀りされ、静かに来訪者を見守っています。
寺院は現在、国道の北側、国府津山の中腹に位置しており、第36世・三浦紘善住職が小学6年生だった昭和34年にこの場所に移ったそうです。美しい木々は住職が幼い頃から親子で植樹し、育ててきました。
「美術の歴史は宗教の歴史」
そんな三浦住職は、小さい頃から美術に惹かれ、日本画の巨匠・森田曠平氏に師事。絵画の基礎を学び、東京芸術大学、同大学院に進学して日本画などの創作に打ち込んだそうです。卒業後はジャンルにとらわれない新しい美術の潮流(現代美術)の世界で創作活動を行い、上野、銀座、神田などでグループ展や個展を開き、アーティストとして精力的に活動されておられました。
転機が訪れたのは1989年(平成元年)頃。東京から光明寺に戻ると、住職を務めていた父の老いを感じ取りました。「これからは副住職として、父を支えていこう」と考え、いずれ光明寺の住職を継ぐことを決意したそうです。
三浦住職いわく、「美術も宗教も人間が生きるために欠かせない精神活動。美術の歴史は宗教の歴史と言っても過言ではないほど重なるものです」と、以来30年以上にわたり、地域の人々の声に耳を傾け、お釈迦様の教え、ご先祖様の供養の意味について丁寧に伝えるなど、多くの人の心に寄り添っています。
景勝の丘に建立された永代供養塔
光明寺の墓域には、墓地継承者がおられない人々のための永代供養納骨堂「とこしえの塔」があります。天窓からはいつも光が差し込むように設計されていて、参拝者が気持ち良くお参りできます。
- 「相模湾や箱根連山を望む景勝の丘で、大切な人を供養したい」と、多くの人に活用されています。