横須賀市の平成町の「平成」って由来はどこから?

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国道16号の小川町付近の交通表示。そこで「平成」と出てきます

明治・大正・昭和・平成、そして令和―。元号が替わった瞬間はまだ記憶に新しいと思いますが、サヨナラ平成…と言っても、横須賀には変わらない「平成」があります。国道16号を下って小川町交差点の「平成」の表示。初めて見たとき「これって元号と関連あるの?」と気になり、さらに「この名称はいつ決まったの?」―そんな疑問がムクムク…。

ノジマモールからの眺め。大型商業施設や中高層マンションが立ち並びます

時は昭和の50~60年代、経済も上り調子だったこの時代、安浦地区では埋立事業が進められていました。「かつては、聖徳寺坂下の交差点あたりまで海岸線があった」と東部漁港の漁師さん。

この事業は、安浦町の海側…現在の新港町から三春町にかけて海面約58 haを埋め立てて、新たな町を造るというもの。昭和64年1月1日付の「広報よこすか」では、埋立事業の写真がトップページに。未来のまちづくりの起点であることを示していました。

昭和64年1月1日付の広報よこすか。この時点では町名は決まっていませんでした

この紙面を見ても相当な期待感があったように感じ取れますね。前年の昭和63(1988)年末に第1工区が竣工していましたが、その時点で名称は決まっていませんでした。

元年2月には決定、「早すぎない?」

そこで気になるのが、いつ町名が決まったのか、ということ。当時の「市議会会議録」を探ると、平成「元年」の3月、建設常任委員会での議論を見つけました。「埋立で新しい町を作るので名称を考える」―という決定が事前にあり、市役所の関係各部職員から前年(昭和63年)12月末を期限に町名を募集していました。中央地区や安浦の町内会等からは事前に「新安浦」という名前が挙がっていたそうです。

200近い案の中から、元号が「平成」に替わった後の1月13日、「海陽」「豊浦」「新安浦」「平成町」の4つの候補で庁内ヒアリングが行われています。そして、2月10日には「平成町」で市長決裁が下りたという記録が残っています。

議会内では「決定までが早すぎる」「新町名は市民の意思を十分に尊重、反映したものとは言えない」「一世一元の元号を新町名にするのはどうか」と反対の請願があったようです。「元号を安易に取り入れたわけではない」という答弁もありましたが、当時は耳馴染みのない「平成」という単語が“横入り”してきたような感じも無きにしもあらず。

それでも「中国の古典の史記、五経の中に『平』は『平らか』で平和を意味し、『成』は『達成』で平和が達成される―という意味として出ており、平和産業港湾都市を市是とするなかで、新たに生まれた土地につけるにふさわしい」という理由も示していました。当時の市長、横山和夫氏は3月の市広報で『元号』について、「平成とは誠に素晴らしい元号だとつくづく、かつ、しみじみと思う」と述べています。

その後、正式に「平成町」と名付けられたのが元年の5月1日。新しい時代を象徴する町の名称と期待を表すものとして「これ以外になかった」のかもしれません。

伝説の野外フェスも!

さて、無事に「平成町」となったのち、この街はどのように変遷していったのでしょう。

事業が進む中で、当時はこの沖での人工島の計画も。壮大な構想があったようです。しかし、経済情勢の変化から「よこすかポートフロンティア」「海辺ニュータウン」と姿を変えてきました。

平成8年7月には、よこすか海岸通りが供用開始。10000mプロムナードとして遊歩道も整備。「マボチョク」までの直線道路が歌の歌詞にもなっていますよね。その中間地点にあたるのが、その年に部分利用が開始された「うみかぜ公園」です。BBQ広場も人気ですが、当初からスポーツ広場としてのコンセプトがあり、BMXやスケートボードの練習場の整備を強化。東京五輪の影響もあり、最近では多くの若者が競って練習しています(現在は、新型コロナの影響で閉鎖中)。

BMXやスケボーの練習場、BBQ広場からは海が一望。そんなロケーション、贅沢です

また、現在の下水場付近の場所を会場に、平成3年から6年まで「レゲエ・ジャパンスプラッシュ横須賀公演」という野外フェスも。当時、約4万人が集まったと言われている伝説のライブ。この町はカルチャーの「流行発信地」でもあったのです。

現在の平成町

そして、平成町といえば大型商業施設や大手スーパーが立ち並ぶ「激戦地」です。平成町に来れば「何でもそろう」と言ってもいいほど。これに中高層マンション、県立保健福祉大学のほか、工場や事業所の混在する街へと変遷を遂げました。この地区に隣り合う新港町には、警察署や救急医療センター、官公庁が順次移転しており、最近では新港ふ頭に大型フェリーが就航。ノジマモール横須賀の駐車場から、日曜夜から月曜夜にかけて、大きな船体を眺めることができます。これも新たな平成町の景観です。

今年7月、北九州の門司港を結ぶフェリーが就航、新たな景色が加わりました

平成町の「平成」の時代の30年は、埋立地・新しい町の可能性を模索する―そんな時代だったのかもしれません。経済状況も大きく変わった平成時代。開発自体は落ち着きましたが、令和になった今、この町はこれからどのように発展していくのでしょうか。

ちなみに、「元号と同じ地名」というと平成町以外にも全国にあります。改元を機に名付けたもの、開発の時期にちなんだもの…などさまざま。近くでは金沢区には昭和町が。JAMSTECの横浜研究所があります。令和で言うと、東京都大田区の空港臨海部埋立地が昨年、「令和島」という町名に。平成町を起点に「元号町名」を辿るのもおもしろいですね。

*2019年1月18日号タウンニュース横須賀版より再構成
*通常の記載は西暦ですが、記事の内容により「元号」で紹介しています。

住所

神奈川県横須賀市

公開日:2021-09-16

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