有限会社 鍛代勇石材店は、鍛代勇代表取締役が代々続く石材店を引継ぎ、1980年に厚木市下荻野に自身の店を開業。「お客様に喜んでもらえる提案をし、納得するものを作らせていただく。それが喜びにつながる」との経営方針のもと、依頼主の要望に応えている。
すべては地域のために
鍛代社長は、世界的奉仕団体・ライオンズクラブの厚木地区に所属。現在会長(第58代/2023年7月~24年6月)も務めており、「仕事だけでなく様々な場面で地域に貢献したい」という。さらに30人以上のメンバーをまとめるなどリーダーシップを発揮していることからも、周囲からの信頼の証がわかり、その人柄がうかがえる。「1人だけがやるのではなく、1人ひとり全員が自分を主人公として取組む。そんな会にしていきたい」と話す。
厚木ライオンズクラブ第58代会長として
▽厚木ライオンズクラブの今年度のテーマは「一隅を照らす」。スローガンは「一人一人が主人公。そして、社会貢献」。テーマには、会員全員が奉仕を通して自分のいる場所を照らし、厚木市全体が明るくなってほしいという願いを、またスローガンには、一人がやるのではなく、皆が自身を主人公としていろいろな社会貢献について意見を出し、ベストな選択を行うことで成長していこうという思いを込めた。▽現会員数は34人。14の活動を設定。「子ども食堂支援」「献血・献眼・献腎」「児童相談所支援」「障害者施設との交流」をメインに掲げる。会長として、会員増強にも注力する一方、例会出席率アップもめざすような「クラブの魅力を見出してもらえるように、積極的に仕掛けていきたい」と意気込む。▽代々続く石材店を継ぎ、1980年、下荻野に自身の店を開業。「お客様に喜んでもらえる提案をし、納得するものを作らせていただく。それが喜びにつながる」と話す。趣味はマジックで全国大会での優勝経験も。「子ども食堂で披露すると喜んだり感動してくれる」と満面の笑みに。
鳶尾山 金毘羅神社に石灯籠寄贈
1650年(慶安3年)に養徳寺(厚木市中荻野)の心外悦禅師により創建された『鳶尾山 金毘羅神社』。創建は、江戸の金毘羅宮よりも150年古く、相模国・武蔵国最古の金毘羅神社といわれている。創建以来繁栄を続けてきたが、1951年(昭和26年)3月の戦後の混乱の折、社殿が焼失した。その後なかなか再建が叶わなかったが、2019年(令和元年)12月についに再建。その際、鍛代勇石材店地域貢献の一環として、石灯籠2基を寄贈した。
初めてお墓を建てる
初めてお墓を建てる時は、急な不幸の中、納骨なども考え、気ばかりが急いてしまい、「どうしたらいいのかわからない」ということもあるでしょう。どういった手順で進めていけばいいのかを聞いてみました。
墓地自体を新たに購入する場合
- 墓地購入のための希望条件があるかどうかを霊園やお寺に確認する。
〇霊園
公営の場合・・・どの石材店に頼んでもOK
民営の場合・・・既に業者が決まっている
〇お寺
指定業者があるか確認する
墓石を購入する場合
- 打ち合わせで予算や納期、要望などを知らせる。
※業者は霊園、お寺への挨拶・現地調査を行う。
打ち合わせでは—–
・墓石のサイズや刻む文字、書体や付属品など具体的な内容を決める。
・和型・洋型・オリジナル型など墓石の型を決める。
・材質・産地・色・価格など様々な種類から石を決める。
・墓石の後ろにある、塔婆を立てるために必要な台となる塔婆立てを決める。
・隣接するお墓との境界を明確にする外柵を決める。
提案・見積り
依頼主の希望を聞きながら、図面・デザイン案・石種などの提案を経て、見積りを作成します。
※なんでも気軽に相談ください。もっと値段を下げたいなども遠慮せずどうぞ。
依頼者の声
●90歳を過ぎていましたが元気で過ごしていた母が、脚の病気で歩行困難になると、急速に体が弱り入院。コロナ禍で見舞いも制限されていた中、内臓にも病疾患ができ、あっという間に亡くなりました。父親も90歳を超えていましたが、墓地はすでに菩提寺に購入してありました。
しかし、購入時期がかなり前だったため、外側の土台が崩れるなど、補修が必要な状態。父の知り合いの業者はなく、私が業者探しをすることになり、仕事の関係で以前から知っていた鍛代さんに相談することにしました。
打ち合わせでは、細かいところまでアドバイスをくれ、現地も調査。様々な提案をしてくれました。最終的に土台修理代を含めて予算を少しオーバーしてしまったため、ズバリ「全体で〇〇万円内に抑えたい」と言ったところ、「でしたらこちらをこちらに変更してこうしたらどうですか」と返事をくれ、希望どおりで満足のいくものが出来上がりました。
しかも知人や住職らから「今は石がほとんど海外からの輸入だから完成まで時間がかかるので、四十九日の納骨は間に合わないだろう」と言われていましたが、鍛代社長は「間に合わせるよ」と言ってくれ、その通りに出来上がり無事四十九日法要の際に納骨まで終えることが出来ました。父親も満足してくれ「ありがとう」と感謝していました。よっぽど気に入ったのか、その1週間後に急逝し、今は二人仲良く一緒に眠っています。(50代男性)