久成寺は、鎌倉市植木にある日蓮宗のお寺です。近くにある貞宗寺同様、徳川と縁のある寺です。久成寺境内には「長尾定景一族の墓」と伝えられている墓がありますが、長尾定景は源氏3代将軍の源実朝を殺害した公暁の頚を取った人物です。当初、定景は石橋山の戦い時に大庭景親(平家方)の味方をしており、その戦いで岡崎義実(三浦氏の庶家・岡崎氏の祖)の息子である佐奈田義忠を打ち取るという大手柄をあげました。
しかし頼朝が盛り返し、富士川の戦いでは大庭景親とともに捕らえられ、大庭景親は死罪となり、長尾定景の身柄が岡崎義実預かりとなりました。定景は自分の息子を殺した敵ですから普通は打首にするところですが、岡崎義実は、定景が毎日法華経を読経している姿を見て、頼朝に次のように嘆願したのです。「定景は息子の仇なので殺さなければ気がすまない思いでしたが、毎日法華経を読んでいる声を聞くうちに、怨念も段々と消えて行きました。信仰の厚い定景を誅すれば、かえって義忠の冥途での支障になりかねないので、許してやりたいと思います」と言って、頼朝の許しをえたのです。
定景は、その後同族の三浦氏の郎党として公暁討伐等見事に成功させ、晩年まで勇名を馳せるようになります。尚、長尾定景は上杉謙信の祖先といわれていますが、謙信も毘沙門天を信仰していた事を考えれば、やはりその血は繋がっていたのでしょうか。
九川孝司