横浜市金沢区の富岡は、その名の由来が「十三丘」からきていると言われるほど、小高い丘が連なっています。昭和40年代から始まった埋め立て以前の富岡東は美しい海岸線が続く風光明媚な地域として知られていました。維新後はそんな風景に魅せられた文化人や財界人が別荘を建てるなどして、富岡の地に足跡を残しています。さあ、あなたも歴史散策にでかけてみませんか?
旧川合玉堂別邸
京急富岡駅から北に向かって小道に入ると、ほどなくして旧川合玉堂別邸の茅葺屋根の門が見えきます。
- 川合玉堂は日本の明治から昭和にかけて活躍した近代日本画家の大家で、金沢区富岡の地でも多くの絵を描きました。邸内に枝ぶりのいい2本の老松があったため、通称「二松庵」と呼ばれました。
本邸は2013年に、残念ながら火災で焼失しましたが、庭園は基本的に毎月第一土曜日に開園します。かつての里山の風景が偲ばれる野趣あふれる風情を楽しんでみて。
旧川合玉堂別邸/富岡東5の19の22(京急富岡駅徒歩2分)
問い合わせは金沢区役所:045・788・7729
直木三十五の文学碑と墓
- 文学賞「直木賞」で知られる直木三十五は1933年、慶珊寺近くに居を構えました。療養のために空気が良く温暖だった金沢区富岡を選んだということです。
没後も家屋が残っていましたが、2011年に解体。今は家屋近くに「芸術は短く貧乏は長し」という直木三十五の言葉が刻まれた文学碑と直木邸の間取りなどが記された看板があります。
また、直木三十五の墓は、現在、長昌寺にあります。
毎年、命日の2月24日の前後には、代表作「南国太平記」にちなみ「南国忌」の名称で供養と作家らの講演会を開催しています。2021年は中止です。
直木三十五文学碑/京急富岡駅から徒歩14分、慶珊寺近く
長昌寺(直木三十五墓)/富岡東3の23の21、京急富岡駅から徒歩15分
明治の政界人の別荘地跡
- 明治10年から20年頃にかけて多くの政界人が競うようにして金沢区富岡に別荘を建てました。「夏は富岡で閣議が開ける」と言われたほどです。
井上馨は、伊藤博文の仮住まいに隣接する地に別荘を構えました。その後、この別荘は富岡楼という旅館・料亭となり、昭和10年ごろまで賑わっていたようです。
三条実美の別荘(富岡海荘)はクツモ海岸(現富岡総合公園の北側付近)にありました。富岡の自然を愛した三条実美は、この別荘を中心に本牧から観音崎にかけての海岸線の風景を描かせました。この絵は「富岡海荘図巻」といい、今は失われたかつての美しかった海岸線をしのぶことができます。
日本銀行を設立し、内閣総理大臣にもなった松方正義の別荘は、慶珊寺近くにありました。今は石碑が残っています。
そのほか、大鳥圭介や田中不二麿ら明治の元勲と呼ばれた人たちが金沢区富岡で夏を過ごしていました。さらに昭和21年当時、 富岡八幡宮の裏にあるこすもす幼稚園は佐藤繁次郎の別荘でした。担当国務大臣であった金森徳次郎がこの別荘にこもり、日本国憲法の草案を仕上げたといわれています。
- 多くの人々を魅了した美しい海岸線も昭和40年から始まった横浜市六大事業の一環として金沢地先埋立工事によりその姿は永久に失われることになりました。