【鎌倉殿の13人 】藤沢ゆかりの地を辿る③<伝義経首洗い井戸 > 非業の死に馳せる思い

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公園の一角に残る井戸

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の物語は『吾妻鏡』など歴史資料を基に構成されている。一方、埋葬場所など重要な出来事であっても資料には記載がなく、創造や伝承を元に描かれる出来事も多い。藤沢の東海道沿いには「源義経」の最期にまつわる伝承が残る「井戸」がある。

 義経の最期は『吾妻鏡』によると、1189年、奥州平泉で自刃の後、首は鎌倉に送られ、梶原景時と和田義盛がその確認(首実検)を行ったと伝わる。首は片瀬の浜に捨てられたとあるが、葬られた場所などその後の記載はない。

 次に「義経の首の行方」について書かれるのは江戸期。小川泰二(泰堂)が1830年に書いた藤沢市にまつわる資料「我が住む里」などでは、首は境川を遡り藤沢へ漂着、拾った村人が井戸で洗い清めたという。この時、首がしゃべり「自身が義経だ」と名乗ったという話や、首は亀の背中に乗って流れ着いたという話も残る。

 市郷土歴史課によると、江戸期に新たな伝承が現れた理由の一つとして、歌舞伎『義経千本桜』など江戸時代の「義経ブーム」が背景にあるという。「判官贔屓(びいき)」という言葉のように、合戦で武功を挙げながら非業の死を遂げ「権力(幕府)にねじ伏せられた歴史の英雄」に人々は思いを馳せた。井戸は現在公園として整備され市民憩いの場に。静かに地域を見守り続ける。

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住所

神奈川県藤沢市藤沢2-1-10 

本町公園そば

公開日:2022-05-03

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