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茅ヶ崎がホームのプロ競輪選手<荻野哲さんの茅ヶ崎暮らし>

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茅ヶ崎がホームのプロ競輪選手<荻野哲さんの茅ヶ崎暮らし>

茅ヶ崎市東海岸北在住 荻野 哲(おぎの・さとる)さん
茅ヶ崎市出身。高校卒業後に競輪選手となることを志す。現在は平塚競輪場(ABEMA湘南バンク)をホームバンクとして全国各地を転戦する日々を送る。茅ヶ崎出身で幼稚園の頃から知る同級生の奥様、お子さん2人との4人暮らし。

高校卒業後、競輪の世界へ

生まれも育ちも茅ヶ崎という荻野哲さん。幼い頃に始めた野球を高校まで続け、「野球はやり切った」と思えるくらいに全力で白球を追いかけた後、高校卒業後の進路として選んだのが競輪選手への道でした。

「自分の体1つでやっていける仕事であること、また、学生時代から競技として自転車に乗っていた人が少なく、競技者としてのスタートラインが皆ほとんど同じであることに大きな魅力を感じました。競輪の世界では先輩の選手と師弟関係になることが一つの文化になっていて、僕もある方に弟子入りしました。その出会いにも恵まれ、厳しくも愛情を持って指導してくださり、無事にプロ選手になることができました。今も師匠とはお付き合いがあり、気にかけていただいています」

トレーニングについて聞くと「普段はつまらないですよ(笑)」とのこと。
「朝起きて、午前中に若手選手たちと走ります。平塚競輪場のバンクは1週400mなんですが、まずウォーミングアップで30周ほど乗って、その後400~600mの中距離でインターバルトレーニングを繰り返します。午後や夕方には週3回くらいの頻度でジムに行って、体の動きをチェックします。1つ1つのメニューは短時間ですが、常に体を動かしている感じです」

荻野さんのホームバンクである平塚競輪場。昼から時には深夜まで、多くの選手がしのぎを削っています。

若い頃はトレーニングとして茅ヶ崎から三浦半島まで行って帰ってくるなど、海岸線を走るメニューも取り入れていたそう。「山道を走って負荷をかけるやり方もあるんですが、どうせきついことをやるなら眺めのいいところで長く平地を走ろうかなって(笑)。茅ヶ崎を走っていると気が紛れるし、海を見てると心が癒されます」

富士山を望む早朝の国道134号

40代から50代の選手もバリバリの現役で活躍し、選手寿命が長いといわれる競輪。基本は個人戦ですが、同じ地区や同郷の選手が「ライン」と呼ばれる隊列を組んでレースを有利に進めようとするなど、他選手とのつながりが大事になることも多いそう。

「選手寿命に関しては、自転車という道具を使えるのが大きいと思います。陸上で100m走るとなると、加齢による衰えには敵わない。でも自転車を使うことでそのギャップを埋められる可能性がある。それに、レースの流れを読んだり勝負所を見極めたりと、積み上げたキャリアや経験で戦局を打開できることもある。身体はもちろんですが、見た目以上に頭を使う競技なので、戦略性があって面白いですよ」

競技者として心身と向き合う日々。茅ヶ崎が“ホーム”でいてくれる安心感

競輪選手としてベテランの域に差しかかる荻野さん。結果を残し続けるために、日々自分と向き合っています。

「朝起きて、食事してちょっと休憩してから練習して…と、いつも同じリズムで生活することを意識しています。一番気を付けているのはケガ予防。自分の体調と相談しながら、体の動きに合わせて練習の強度を考えています」

全国各地を転戦するタフなスケジュールの中で、メンタルのコンディションを整えることも重要です。「競輪はゴールデンウィークやお盆に開催が集中するなど、シーズンオフと言える時期がないんです。月に2~3回ほどのペースでレースに参加し、九州から北海道まで全国を飛び回る。多い時は月の半分近く家を空けることになるので結構ストレスもありますが、『レースが終わったら美味しいものを食べよう』とか、うまく解消しながら過ごすようにしています。そういった生活スタイルなので、茅ヶ崎に戻ってくると『ホームに帰ってきたな』と実感して、すごくホッとしますね」

オフは歩いてまちのお店や雰囲気を楽しむ

戦いの場に身を置く荻野さんのリフレッシュ法は茅ヶ崎散歩。自宅からいろいろなコースで奥様とともにまちを歩いているといいます。

「歩きながらお店を見つけるのが楽しいんです。特に茅ヶ崎の南側エリアは車の進入が難しいほどの小径が複雑に入り組んでいて、ずっと茅ヶ崎で暮らす僕でさえも歩いてて迷うことがあります(笑)。ただ、この道の狭さも茅ヶ崎の醍醐味の1つ。それこそ歩いてみないと気づかないような小さなお店も多いんです。それに、『あれ?あそこ明かりがついてる。何屋さん?』とか、『行列ができてるね。なんでだろう?』とか、まちの様子や変化、活気がすごく見えるんですよね。体を動かしながら休ませるという点でも散歩は最適です」

茅ヶ崎駅から東に続く通りの1つである「桜道」。沿道には個性的なお店が並びます。

生き方がおしゃれでかっこいい“茅ヶ崎人”

温かくて寛容で、アットホームで優しい。うわべだけのお付き合いではない。でも必要以上に深入りはしない。そんな絶妙な距離感の中で生まれる人付き合いを楽しんでいるといいます。

「以前息子が所属していたサッカーチームのお手伝いを通じて、そのお父さんたちと仲良くなれました。お話すると様々なバックグラウンドを持っていておもしろいし、すごく尊敬できる。子どもの活動なのに親だけで関わり合えて、子どものチーム卒団後も関係が続くことって実はなかなかないんじゃないかと思うんですが、自然にそういった関係ができました。今でも良い飲み友達です」

また、「友人の知り合いと仲を深められることがよくあるんですよね。例えば我々夫婦が仲の良いご夫婦と飲み会を開くときに、そのお相手と親しくしているお友だちが来てそこで仲良くなって、次回は3家族で飲むみたいな。そんな流れで知り合えた方の1組がラチエン通り沿いのパン屋さん『パン ド ケイ』のご夫婦。長いお付き合いになりますがすごく素敵なお2人で、パンもとても美味しいんです。生まれた時から茅ヶ崎に住んでいるけれど、まだまだ知人が広がっていき、その中には新しく引っ越してきた人もいる。ゆるりと広がる人付き合いが心地良いです」

子どもの頃からのご友人の中には飲食店を営み、コロナ禍の苦境の中で奮闘している方もいるといいます。

「鉄砲道沿いにある『鮨みやもと』、それと新栄町の居酒屋『魚っ香(うぉっか)』は、実はそれぞれ店主が同級生なんです。大変な中でも頑張っているので応援したいし、なるべく訪れるようにしたいなと思っています」

市外に住んでみたいと思ったことはなかったのか?たずねてみると「それが、僕はそう思ったことがないんですよね。社会人になって子育てやその先のことを考えても、『茅ヶ崎ってなかなかいい場所だな』という実感があって。奥さんの実家も茅ヶ崎にあって共通の友人もいるし、暮らしの場として茅ヶ崎以外の場所を考えたことはなかったです」

1年でも、1日でも長く競輪選手でありたい

「毎日が勝負という、そういうヒリヒリ感はいつも持っています。周りからはきついと言われる競輪ですけど、僕はこの仕事が好きなので、健康で1日でも長く選手生活を続けたい。そして、家族にとってのかっこいい父親でいたいです」

現役を退いた後に憧れる暮らしを聞くと「仕事柄遠征が多くて家に居ない時間が多いので、特に子どもが幼い頃は、妻をはじめ家族に苦労をかけたと思います。今後競技から離れる時が来たら、家を住みやすくリフォームして、妻が仲良くしてる友人を招いておもてなししたり、旅行に出かけたりして、ゆっくりしたいです」

競輪への思いを聞けば聞くほど、荻野さんが憧れる悠々自適な暮らしの実現はもう少し先になるのかもしれない。筆者がそんなことを考えていると、荻野さんからこんな一言が。「茅ヶ崎だったら、年を取っても楽しめると思うんですよね。やっぱり、1年の半分以上をTシャツ、短パンで過ごせるのは大きい(笑)。市内には同級生や一緒に楽しめる人もたくさんいるし、これからも変わらず茅ヶ崎で住み続けたいですね」

information

■平塚競輪場(ABEMA湘南バンク) https://www.shonanbank.com/

■Pain de K(パン ド ケイ) https://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140406/14042476/

■鮨みやもと https://sushi-miyamoto.com/

■魚っ香(うぉっか) https://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140406/14027041/

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住所

神奈川県茅ヶ崎市

公開日:2022-09-28

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