夫婦水入らずで暮らす
小杉御殿町の油布(ゆふ)忠司さんは1924(大正13)年生まれ。1月29日、2024年市制100周年を迎える川崎市と同じく100歳を迎える。これまで大病を患うこともなく、介護も必要としていない。現在も妻・やすこ恭子さん(91)と夫婦水入らずで暮らす。
大分県別府市出身。7人兄弟の四番目で、一番上と三番目の兄は戦死。自身も義勇軍として満州にわたるなど二度の戦争を体験し、復員した48年に法政大学予科(現法政二高)入学のために中原区へ移住。小学校時代の恩師の影響で教員を目指し、卒業後は中原中の教員を30年続け、最後は高津中で教頭を務めた。「教室に60人も生徒がいて。授業を進めるのもひと苦労だったね」と振り返る。定年後も働き続け、90歳を超えても町内会の役員を引き受けるなど地域に貢献してきた。
食糧難を生き
中原区に暮らして76年。新丸子周辺は畑が広がり、家やそこに暮らす人の数も多くなかったという。恭子さんは学生時代の親友の妹。54年に結婚し、二人の子宝に恵まれた。「とにかく戦後の食糧難で、食べる物がなかったね」。配給だけでは足りず、家族を食べさせるために闇市で食料を手に入れた。「お金さえ出せば何でも手に入る今とはまったく違った」と思いを馳せる。
元気の秘訣は湯と食
近くに住む息子の重宜(しげゆき)さん(65)によると、2022年に圧迫骨折をしたが本人は何も言わず、病院で検査したときにはすでに治っていたという。「昔から痛いという言葉を聞いたことがない。とにかく我慢強いんです」と重宜さん。元気の秘訣を尋ねると、生まれ育ったところが温泉街の近くで、温泉で遊んでいたことかなと笑った。食べ物の好き嫌いはなく、恭子さんの手料理を3食きちんと食べる。父親が漁師だったこともあり、刺身や寿司などの魚料理に目がない。
100歳を前に
昔の記憶を鮮明に思い出し、いまだに話す口調もはっきりしている。体は健康そのものだが、最近は耳が遠くなってきたとか。もうすぐ迎える100歳の誕生日。「人生いろいろと苦労もあったけど、思い出すのは楽しいことばかり。それにしても月日が経つのは早いねぇ」