- 神奈川県綾瀬市にある「綾瀬ゆたか幼稚園」(学校法人橘川学園、橘川好一理事長)には、88歳(2021年)になる事務長さんがいます。
- 事務長さんがいつも座るのは職員室のいちばん奥。子どもたちが登園し、元気に遊び、帰宅していく様子を180度みわたせる場所にあります。
事務長さんの席から見える園庭の奥には、みんなが出入りする幼稚園の正門があり、「テルせんせい」は、「誰が入ってきてもよくみえるのよ」と、得意げにいいます。「見える」といっても、最近は便利なものがあり、防犯カメラのモニター画面を見ることが多くなってきました。それでも園庭で遊ぶ子や昇降口に来る子どもたちのことを、毎朝7時半ごろにはやってきて、見守っています。
事務長さんの名前は、橘川テルさん。
「テルせんせい」は理事長先生と園長先生の母親で、昭和48(1973)年の法人設立前から、先代理事長の夫を支えてきました。そのため幼稚園の先生と職員のなかで、もっとも長くこの幼稚園にいるのは事務長の「テルせんせい」になります。
子どもたちからは「テルせんせい」と呼ばれ、園庭ですりむいたり、ちょっと痛いところがあると、子どもたちは「テルせんせい」の所へやってきて、消毒をしてもらったり、絆創膏(ばんそうこう)をはってもらったりして、甘えてくるといいます。
「そうかい。そんじゃ消毒しようか」「あらら痛いのかい。そんじゃ絆創膏してやるよ~」と、「テルせんせい」はいつもそういって子どもたちを見守っています。「どっこもすりむいてないのに『いた~い』って、ここに来る子もいるのよ」と、いつもの場所で嬉しそうに話してくれました。
「テルせんせい」の生い立ち
「テルせんせい」は、昭和8(1933)年、旧綾瀬村蓼川の農家に生まれました。7人きょうだいの末っ子で、兄や姉たちにかわいがられて成長しました。
15才も離れている、いちばん上のお兄さんは中国に出征して無事に帰還。3番目のお兄さんは入れ替わるように戦地へ赴き、東南アジアのボルネオ島で戦死したといいます。「戦争は嫌だよ。怖いよ」と、時々その当時のことを話してくれます。20年ほど前にきょうだいみんなで、ボルネオ島をお参りしたといいます。
二十歳で今の家に嫁ぎ、30代までは家族の介護、昼夜を問わない養蚕の仕事に追われる日々を過ごしたそうです。
開園当時の園児が親になり、親だった父母がおじいちゃん・おばあちゃんになり、今でも園に遊びに来てくれるのが嬉しい、といいます。
- 「テルせんせい」は「コロナで3か月も家にいたら体調を崩した」といいます。「やっぱり毎日ここに来ると元気になるね」と話し、いつの間にか帰り支度を済ませていました。
- 長年携わる幼児教育については「『三つ子の魂百まで』とはよく言ったものだね。子どもは宝ですよ」と、似顔絵のように、にっこり笑って話してくれました。「テルせんせい」の携帯の着信音は『ふるさと』でした。
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