NHK大河ドラマの「鎌倉殿の13人」の放映が始まり、県内ゆかりの自治体が登場人物になぞらえた集客策を相次いで打ち出している。実は主題の御家人でこそないが、物語の重要人物で、藤沢にゆかりの深い武将がいる。挙兵した源頼朝を石橋山の合戦で破った大庭景親だ。かつて所領だった大庭には伝承も残るが、現在関連する史料はほとんど残されていない。どんな人物だったのか、専門家に尋ねた。
頼朝追い詰めた大庭景親
大庭景親は作中で、平清盛の信頼厚い相模一の大物として描かれる。國村隼さんが演じ、16日の放送では伊東祐親と北条時政の間を取り持つ場面で初登場した。
「恩こそ主よ」坂東武者の気概
「景親は戦場で源頼朝を追い詰めた唯一の武将。歴史に『もし』はありませんが、一つ違えば時代を変えていたかもしれません」
市郷土歴史課学芸員の宇都洋平さんによると、景親は平安時代末期、藤沢と茅ヶ崎にまたがる「大庭御厨(おおばみくりや)」を所領とした武士。当初は源氏に仕えていたが、保元の乱(1156年)以降は平氏に接近し、平清盛の信任を得た。
頼朝が治承4年(1180年)に挙兵した際、景親は平氏方の総大将として戦い、石橋山の合戦で勝利を収める。だが、安房国(千葉県南部)に逃れた頼朝が勢力を拡大し、鎌倉に入ると景親は対抗しきれず、京都へ逃亡を図るも片瀬川(現在の境川下流)で斬首されてしまう。
▽武士らしいリアリスト
大庭景親に関連する史料は現在、ほとんど残されていないが、当時の人柄を彷彿とさせる逸話が『源平盛衰記』にある。石橋山の合戦の際、北条時政から「代々源氏に仕えた身でありながら恥ずかしくないのか」と問われると、こう言い放ったという。
「景親は平家方についてから現地の監視者として相模一帯の実質的支配を任されるようになった。恩(=利益)こそが仕えるべき相手。リアリストだったと言えると思います」と宇都さん。当時の社会情勢からすると頼朝の挙兵は一武将の謀反に過ぎず、利益を優先する当時の武士らしいあり方だったのではないかとも分析する。
▽未知多いゆえの魅力
肖像画も確かな家系図もない景親だが、その存在は後世の庶民にも親しまれている。
江戸後期、浮世絵師の歌川国芳が描いた武者絵「頼朝の伏木隠れ」=写真。石橋山の戦いに敗れた後、山中の伏木に隠れている頼朝を捜索していた梶原景時が見つけるが、「誰もいない」と告げやり過ごす場面。この作品では景時ではなく、大将格の大庭景親が大きく描かれる。
「景親はヒール(=悪役)キャラクターとして描かれていますが、時代の主要人物だったことは確か。東海道を旅した江戸庶民が藤沢宿で『ここが大庭景親の』と話題にしたかもしれませんね」
企画展「浮世絵が描く鎌倉幕府の物語―個性豊かな御家人たち」
頼朝と御家人に焦点を当てた企画展「浮世絵が描く鎌倉幕府の物語―個性豊かな御家人たち」が辻堂神台の藤澤浮世絵館で開催。大庭景親の武者絵も展示している。2月13日(日)まで。月曜休館、藤澤浮世絵館。問い合わせは同館【電話】0466・33・0111へ。