NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では源氏平氏、どちらに付くかで一族の運命が大きく変わる様が描かれている。忠義や血縁が複雑に絡み合う中、複雑な立ち位置になる武将も多かった。長後を治めた鎌倉御家人・渋谷重国もその一人だ。
渋谷一族は東京都渋谷から綾瀬市一帯の「渋谷荘」を治める一族だった。『吾妻鏡』によると重国は1159年平治の乱で源氏が敗れた際、敗走する源氏軍の佐々木秀義を「勇敢に感ずるの余りに」匿ったという話が残る。それから両氏の関係は続き、重国の娘が秀義に嫁いだなどの記録もある。
その20年後、頼朝が挙兵。秀義の息子らが源氏に従う中、重国は平家方・大庭景親の軍に入る。平家に対する旧恩のためというが、石橋山の戦いで頼朝が敗れた際、景親の「佐々木一族を捕らえよ」の要請を拒否。その後、館に戻った佐々木氏を、共にやってきた頼朝の異母弟・阿野全成ごと迎え入れている。
鎌倉幕府成立後、重国は佐々木氏ともども鎌倉御家人入りを果たした。
長後天満宮は、重国の祖父・河崎基家が館の一角に祀った天満宮が始まりとされる。周囲で空堀の跡が発掘されたが、現在の社は江戸期のもの。総代代表の福島昌靖さんは「渋谷氏の源氏への恩があったからこそ今の長後がある。今も見守っているのでは」と話した