神奈川県の山北町といえば。山中で修行を行う共和地区で古くから伝わる民俗芸能「山北のお峰入り」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことで記憶に新しいまち。町域の約9割が丹沢山塊等の森林地帯である山北町は、まさに「お山」との共存生活。近年の新しい働き方・新たな暮らしの価値観も生まれ、山暮らしを求め各地から移住者がやってきています。今回はそんな共和地区で「お山暮らし」を満喫する移住者を取材してきました。
親子で移住「好きなことがみつかるまち」/吉田洋子さん、知世さん
「同じ日がない冒険の毎日。山での生活は何事も大らかに受け止めざるを得ず、強くなれる気がします」。笑顔の中にもたくましさが滲む母と娘の移住生活です。
5年前、藤沢市から移住。きっかけは、母親の洋子(ようこ)さんが友人に連れられ訪れた富士山の絶景スポット「大野山」でした。富士山が大好きで山暮らしに憧れていた洋子さん。「神奈川にこんな場所があったとは」と衝撃を受けました。
その後、別の友人から「面白そうな所があるの」と誘われ辿り着いたのが、偶然にも大野山登山コースに佇む地域活動施設「町立 共和のもりセンター」。現在は吉田さん親子の職場でもある場所です。
センターでは採れたて山菜天ぷらでもてなされ。「こんなのが楽しいのかい」。洋子さんの感激する姿に地元住民や職員も歓迎。「山北では当たり前のことが、私たちにとったら当たり前じゃない。それが新鮮で心地良いんです」。
やがて娘の知世(ともよ)さんを連れて遊びに行くように。「あ、私も好きかも」。都会育ちの知世さんも共和の人々や自然の素晴らしさに惹かれ、母娘は山暮らしの道を選びました。
湧き水暮らしの山麓の家
自宅は共和地区にある山麓の家。「大家さんに『自由にして』と言ってただいてDIYに励んでいます」。海も見え、火鉢と七輪のある暮らし。湧き水に恵まれた地域で家の中でも日常的に使っています。湧き水が使えることが、藍染をやりたかった洋子さんにとってこの上ない環境です。
ハクビシンやアナグマ、タヌキ、鹿、猪との遭遇は日常茶飯事。テレビの効果音には思わず「うち?」と反応するほど。音楽が要らない生き物の音に溢れています。
「リアルな生活が良いです。動物には“お邪魔します”の気持ちで暮らしています」と知世さん。人が踏み入れていない、ありのままの世界と共存できるこの環境が魅力です。
二人の「好き」を工房に
知世さんは、山北に来て「樹」が大好きに。バターナイフなど生活雑貨の物づくりに目覚めました。
母は藍染め、娘は樹。そんな二人は「藍と樹の工房i-cara(あいから)」を設立。共和のもりセンターで季節イベントとして藍染め体験や木工教室を開催しています。
絵を描くことが好きな知世さんはパッケージもデザインします。
勘が鋭い“山男たち”
町域の9割が「山」。手を加えないで良さを残したい一方、災害対策など人が手を出して考えないといけない現実も。そこで知世さんは「かながわ森林塾」(南足柄市)で林業・森林の基礎技術を習得。今やチェーンソーも操ります。
87世帯・157人が暮らす共和地区(令和4年12月1日時点)。隣家は遠いけれど、心の距離は近い家族のような存在です。「あそこの木がそろそろ危ないね」「あの人は最近どうしてるかな」。特に男性は“動物的嗅覚・勘”が鋭い。
「最近、がんばってるらしいじゃん」。知世さんは、そんな親戚のような声かけが嬉しく感じます。「『本当は困ってるんだろ?』って。ムリしているのもすぐバレちゃいます」。心も素直になれるんだそう。
都会からの“駆け込み山”になれたら良い
「住む場所や仕事とあれこれ考えてくれた共和の皆さんのためにも極力なんでもやろう」と洋子さん。洋子さんは理事や経理といった各種団体役員や山北町のやまきた定住協力隊などを、知世さんは大野山にある「薫る野牧場」のスタッフのほか、山北唯一の女性団員のいる消防分団(山北町消防第七分団)に所属しています。
不便な地域だからこそ「今あるもので何とかしよう」と知恵も生まれます。自分ができること、得意なことを見つけて助け合うことが当たり前の共和地区は、まさに“自給自足”の地域。「都会に住む人の最後の砦になれたら。駆け込み寺ならぬ駆け込み山になれば」と洋子さん。
「山が好きじゃなくても良い。掴めずにいたスキルが役立つ場所がここにはあります」と知世さん。興味はあるけれど、スキルを生かす場所や掴むきっかけがなかった人も。きっと山北なら“発揮できるチャンス”があるといいます。
ユネスコ無形文化遺産に登録された「山北のお峰入り」は共和地区の民族芸能。共和を知ってもらうチャンス到来に胸が躍る日々です。 ※地域では「お峯入り」と呼称