34社39基の神輿が海岸に集結し、寒川神社を中心に、ずらりと海を向いて並ぶ浜降祭。そのさまは圧巻です。しかし、その中で唯一、富士山の方向(西)を向くのが鶴嶺八幡宮の神輿。そのいわれについて、同八幡宮の能條大輔宮司に聞きました。
浜降祭の起源については諸説あります。その一つが天保9(1838)年、寒川神社の神輿が大磯町に渡御した帰りに、川に転落して行方不明になった御神体を南湖の漁師が発見し、寒川神社に届けたことを契機に、毎年同神社の神輿がお礼参りに南湖の浜に赴き、禊をするようになったというものです。
一方、江戸時代後期に幕府がまとめた『新編相模国風土記稿』によると、鶴嶺八幡宮では寒川神社のお礼参りよりずっと古い時代から、心身の罪や穢れを清める禊の神事として毎年、浜辺への渡御が行われていたとあります。
能條宮司によると、元寇の際に国家安泰などを祈り、海岸で巫女舞「八乙女の舞」をし、浜祈祷を行ったのが禊の起源だといいます。以前は、浜降祭は6月30日の夏越の大祓に行われており、同社では古くから29日を禊を行う古式の禊祭として、今も祝詞を奏上しています。
しかし鶴嶺八幡宮は、幾多の戦乱を経て没落。その間には寒川神社が摂社として管理していた時期もあったのだといいます。
恩思い 露払う
現在、鶴嶺八幡宮の神輿は先導を務める「露払い」として寒川神社の前を行きます。能條宮司は「浜で西(寒川神社の方角)を向くのもお守りするため。摂社として助けていただいた恩返しもあるのでしょう」と推測します。
また、4年ぶりの浜降祭について「祭は文化を伝承し、つなげていくもの。コロナで人のつながりが分断され、より大事だと気付かされた。これを機に浜降祭でつながりを再び強くし、助け合っていけたら」と語っています。