浜降祭で重要な役目を担う『鈴木孫七』さんが茅ヶ崎FMで放送中の『#ちがすき』に出演されました。神奈川県の無形民俗文化財に指定されている浜降祭の歴史や文化について話をされた放送の様子を振り返ります。
寒川神社御旅所神主10代鈴木孫七さんが茅ヶ崎FM『#ちがすき』に出演
2024年4月から毎月第1・第3金曜日12時30分から茅ヶ崎FMで放送している『#ちがすき』。毎月、移住者や茅ヶ崎で活躍している子どもたちをゲストに迎え、茅ヶ崎暮らしの魅力を届けています。
7月12日は、浜降祭で重要な役目を担っている寒川神社御旅所神主(おたびしょかんぬし)10代鈴木孫七(すずき まごしち)さんが出演。放送の様子を振り返ります。
鈴木孫七さんが務められている御旅所神主とはどういった方なんでしょうか
神社の御本殿にいる神様が、お神輿で出掛ける(渡御)先を御旅所と言います。
御旅所神主は渡御されたお神輿をお迎えする準備と御旅所で行われるお祭りをお手伝いする役目を担っています。浜降祭では茅ヶ崎西浜海岸が御旅所にあたります。
鈴木孫七さんは代々、浜降祭と関わりが深いと聞いていますが、どのようにして関わるようになったのでしょうか
天保9年(1838年)、大磯町で行われた国府祭に寒川神社のお神輿が渡御されたのですが、その帰り道、氏子の諍いがあって、相模川でお神輿が流されてしまいました。
お神輿は南湖の浜で漁師をしていた鈴木孫七が発見し、寒川神社に報告。これを機に、鈴木孫七が寒川神社の御旅所神主を代々、任命されて現在に至ります。
浜降祭の御旅所神主として、どういった準備をされているのですか
まず、浜降祭開催の数日前に寒川神社の使者が鈴木家を訪問し、事前の挨拶を受けます。
御旅所神主の一番の仕事は開催前日に御旅所を作ることです。寒川神社のお神輿が鎮座する場所に砂を盛り、その上に海藻のホンダワラ、海浜植物のハマゴウを敷きます。四方に竹を立て、しめ縄で囲い、お神輿を迎えます。
御旅所を整えるのに、多田造園さんや八雲神社の神輿保存会など大勢の方に協力をいただいています。ホンダワラは海水温が上昇しているせいか獲れづらくなっており、地元漁師さんにもご協力をいただき、用意をしています。
鈴木孫七を襲名される前から浜降祭と関わりがあったのでしょうか
鈴木孫七を襲名する前から、御旅所の準備や寒川神社の使者を先代とともにお迎えをしていました。当時は勤め人だったので、7月15日に開催されていた浜降祭が祝日になったことで手伝いやすくなったと感じました。
鈴木孫七さんは今後も受け継がれていくかと思いますが、次世代を担うご家族とは何かお話をされていますか
あらたまって浜降祭の話をすることはありませんが、10年ほど前から11代・12代も祭典に参列しています。私自身もそうであったように、先代の背中を見て浜降祭のこと、御旅所神主のことを学んでくれていることを期待しています。
鈴木孫七さんは浜降祭当日、どのように過ごしているのでしょうか
浜降祭前日の20時に寒川神社に行き、宵宮祭に参列し、寒川神社の神様にお神輿へ移っていただく遷霊祭にも参列いたします。
3時に地元・南湖の八雲神社の宮出、6時30分には会場へ行き、7時から祭典に出席します。8時頃に祭典が終わると鈴木家に戻り、寒川神社の挨拶を受けることとなっています。
この時、神饌のお赤飯をいただくのが恒例となっているのですが、これを食べると風邪をひかないと言われています。
お神輿が戻る13時には寒川神社に行き、還幸祭・直来となります。
浜降祭当日はどんな心境でしょうか
浜降祭は茅ヶ崎・寒川の34もの神様が揃う壮大なお祭りです。御旅所神主としてはとにかく天災・人災なく無事に終えることを強く願っています。
御旅所神主の役目を担われて印象に残ったことはありますか
鈴木孫七を襲名したのは2005年7月で、先代が7月1日に亡くなったため、急遽、御旅所神主の役割を担うことになったことが、とても印象に残っています。
2024年は浜降祭が海の日になる前に開催されていた7月15日ですね
浜降祭は明治9年から7月15日に開催をしていたので、今でも寒川神社では7月15日に古式浜降祭を執り行っています。
現在の浜降祭は海の日のお祭りとして定着し、観客も担ぎ手も増えて、大勢の人が集まれるお祭りになったと思います。
浜降祭を楽しみにされている方にメッセージをお願いします
海岸の雄大な会場に34の神様が一斉に集い、禊をされる。こうしたお祭りは他では滅多にみられないと思います。祭典会場では是非、神様の恵みを感じてもらいたいです。
番組名にちなみ、ちがすき=茅ヶ崎の好きなところを教えてください
茅ヶ崎は空が明るく、風には香りがあります。海が輝き、山が輝き、人も輝いています。
生きとし生けるものが輝いているように見えることが、茅ヶ崎の一番好きなところです。